2012.12.27 [■四季彩だより~信濃の国から~]
<VOL.211>四季彩だより~信濃の国から~
今年も残すところ、あと4日となりました。
サンタさん(全国のサンタさん!お疲れ様でした・・・)からのクリスマスプレゼントの配達も終わり、4日後には郵便屋さんによるお正月の年賀状配達が始まります。
日本って、本当に古今東西を問わず、多彩な行事が行われますね!
さて、今年最後の「四季彩だより~信濃の国から~」は、お正月に大勢の参拝客で賑わう縁日の紹介です。
(縁起物のだるまにみんな笑顔)
(縁日で賑わう本堂)
長野県上田市にある信濃国分寺(八日堂)では、毎年、1月7日、8日の2日間、厄除けの縁日「八日堂(ようかどう)縁日」が行われ、多くの参拝客で賑わいます。
国分寺は、天平13(741)年の聖武天皇の詔により、全国66か国と2島に建立された僧寺(男僧の住する寺)・尼寺(尼僧の住する寺)で、奈良の東大寺が総国分寺と位置付けられており、信濃国分寺は、信濃の国に置かれた国分寺ということで、その名が付きました。
当時の信濃国分寺(僧寺・尼寺)は戦乱による焼失、再建を繰り返し、現在の信濃国分寺は、万延元(1860)年(江戸時代)に再建されたものです。八日堂は信濃国分寺の別称で、今でも地元では親しみを込めて、こう呼ばれています。
縁日が行われる1月7日、8日は、本堂で護摩が焚かれ、金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)の転読が行われる中、“だるま市”や露店が立ち並び、県内外から多くの参拝客が一年間の無病息災を祈願しに訪れます。
新らしい年を迎え、凛とした空気が漂う境内は活気に満ち溢れます。
この八日堂縁日では、「蘇民将来符(そみんしょうらいふ)」という厄除け開運のお守りが販売され、多くの参拝者が“われ先に”とこのお守りを買い求めていきます。
(蘇民将来符)
(蘇民将来符を買い求める参拝者)
信濃国分寺は、「蘇民将来信仰」が今から500年以上前の室町時代より継承され続けており、全国各地に伝承される蘇民将来信仰の中でも、京都の八坂神社などとともに代表的なものとされているそうです。
蘇民将来符は、ドロヤナギの木を六角形(六角錐形)に削り、その側面に、かつて信濃国分寺の門前に家を構えていた「蘇民講」と呼ばれる人々により「大福長者蘇民将来子孫人也」の文字や七福神の絵が描かれています。
蘇民将来という人が災難を逃れた故事にちなんで、招福除災の護符として、大小さまざまな大きさのものが販売されています。
その素朴さから根強い人気があり、縁日が行われる2日間は、各地から多くの人々が買い求めに訪れます。
多くのその形状と図柄は民芸的に格調が高く、民俗学的にも貴重な文化財とされ、昭和43(1968)年4月に上田市の民俗文化財に、平成12(2000)年12月には「上田市八日堂の蘇民将来符頒布習俗」として、国の選択無形民俗文化財にそれぞれ認定されました。
お屠蘇気分もそろそろ終わりとなる1月7日、8日。
新たなに迎えた一年を無事に過ごせるよう、皆さんも八日堂縁日へ出かけて、蘇民将来符のご加護を授かってみてはいかがでしょう。
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