2013.02.28 [■四季彩だより~信濃の国から~]
<VOL.219>四季彩だより~信濃の国から~
2月も今日で終わり。
早いもので、今年も2か月が過ぎようとしています。如月から弥生3月へバトンタッチ!
まだまだ寒い信州ですが、春は一歩づつ、ゆっくりゆっくり近づいて来ています。
今回は、春を待ちわびる高原とそこに暮らす馬の話題です。
(残雪の御岳山のすそ野にも春が・・・)
長野県西部の木曽地域。この地に信仰の山として、信者をはじめ多くの人々をその大きな懐に包み込み、悠然とした姿を見せているのが御嶽山です。
その御嶽山の麓1,000m~1,500mの裾野に広がるのが開田高原です。
(そばの花に埋もれる高原)
年間を通じて全国から訪れる多くの人々を信州の大自然にいざなってくれます。
四季それぞれにその姿を変える御嶽山を仰ぎ見る高原では、テニスやゴルフ、スキーをはじめ、乗馬体験などがあり、スポーツ・レジャーなど、さわやかな風に吹かれながら思いきり楽しむことができます。
特に夏は、うだるような暑さかな避難する!? 涼を求める人々で高原は一年のうちで一番のにぎわいを見せます。
もちろん!御嶽明神温泉・開田温泉・西野温泉・木曽御嶽温泉といった温泉たちも皆さんを温かく迎えてくれますよ!!
(日本の原風景が広がる高原)
開田高原には「木曽馬」という馬が、四季の移ろいとともにのんびりと暮しています。
木曽馬は、北海道和種(通称:道産子)や御崎馬(宮崎県)などと同じ日本在来の馬で、本州での日本在来馬はこの木曽馬だけです。
(親子でのんびりと)
木曽馬の起源については、はっきりしていないようですが、中央アジアに生息していた「蒙古草原馬」が2~3世紀頃、朝鮮半島を経由して日本に渡来し、5~6世紀以降には渡来する頭数も増加し、全国に分布したと考えられているそうです。
胴長短足で背が低く、在来馬の中では中型馬に属しており、性格は「おとなしい」と言われています。
平安時代から江戸時代にかけては、名馬として幾多の武将や武士が騎乗するとともに、農耕馬、荷馬として重宝されていたそうです。
木曽義仲もきっとこの馬に乗って、戦場を縦横無尽に駆け回ったんでしょうね!?
明治時代からは農耕馬としての需要が高まり、飼育数が増加しましたが、中型馬であるため、軍用馬としては不適格とされてしまいました。国は国外種を導入し、国内の在来種の改良を進めた結果、昭和18(1943)年には純血の木曽系種雄馬は最後の1頭まで淘汰されしまいました。
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