楽園信州

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<VOL.244>I♥信州(あいラブしんしゅう)

志野さんは、この就農準備校に通うため車の運転免許を取得し、会社員の仕事を続けながら、講座に通いました。

また、京都府と滋賀県を中心に有機農業に関心のある人々が集まって作られた「京滋(けいじ)有機農業研究会」にも参加したり、兵庫県や大阪府で有機農業に取り組んでいる農家の方々の元へ訪ねて話を聞くなど、就農に向けて様々な下調べを行いました。

そして、1998年、43歳の頃に会社を退職。
そこから一年間、三重県の有機農家の元へ通い、有機農業を深く学んだのです。

志野さん:「関西圏にいると私鉄などの交通が発達しているので、それまでは車を必要としてなかったのですが、土地探しなど色々と必要だろうと、40歳くらいのときに運転免許を取ったんです。
三重県は春夏秋冬通じて、何かしら農作物は育てられるのですが、長野県と気候が全く違うので「農業」として学んだことはあまり役立たなかったんですよ(苦笑)」

志野さん:「雨の多い地域・乾燥して日照時間が長い地域・寒冷な地域…とそれぞれ種の蒔き方から何から全部違います。『あそこでこうやってたからこうやろう』と思ってやってみると、中々うまくいかないことの方が多かったです。ただ一年間、生活の仕方やものの考え方などを教えてもらったことはかなり大きかったですね。」

そして、志野さんは有機農業を学ぶと同時に、農地や移住地を探し始めました。
実際に探し始めると、最大のハードルとなったのが有機農業に対する周囲の人の考え方でした。

志野さん:「北は長野県・山梨県くらいから南は九州まで、各地方の自治体や役場に聞いて探しました。自分の今の状況や、これから農業やりたいと考えていること、それが有機農業であることを話して、農地はありますか?と聞くと、大抵の自治体から『止めときなさい』『有機農業は無理だ』と言われました。
やはり自治体としては産地化して、大規模でしっかり核となってやってくれる人に来てほしいんです。
ひとつのものをしっかり作っていくやる気のある人、しかも金銭的なサポートをしなくてもある程度は生活できる人がベスト、というところが多かったです。有機農業だと大規模は出来ないし、あまりいい感触を得ることは出来なかったですね。」

農薬も化学肥料も使わずに作物が作れるはずはない、今さら農業で生活していけるのか、この地に何か悪い影響を与えるんじゃないか…。
そんな周囲の人の目が志野さんに向けられます。
そんな中、熱心に話を聞いてくれた自治体が辰野町でした。

志野さん:「当時役場の農政課にいた若い方に『いいじゃないですか!土地探してみましょうか』と親身になって相談に乗ってもらえたんです。
辰野町は格段に対応が良かった。決めての一番は“人”でしたね。」

そして、職員の方と二人三脚で農地・移住先を探し、塩尻近くの空き家と農地を借りられることに。

志野さん:「空き家はあるんだけど貸してくれるところが中々なくてね。不動産屋さんも回って、やっと一軒見つけて、持ち主の方のところへ面接を受けに行きました。大阪で初めてお会いして話をして、そこで承諾いただけたので、住む家は何とか決まり引っ越すことが出来ました。それから農地。こちらも貸してもらえないことが多かったですね…。
職員の方も一緒に回ってくれたのですが、地主さんが中々頷いてくれない。
幸い、引っ越し先の近くで土地をお借りすることが出来て、それが4月くらいかな。そこからスタートしました。」

辰野町での生活が始まったのは、会社員を辞めてから約一年後。
有機農業の勉強、農地探し、移住地探しと目まぐるしい日々を送りながらも、着実に第二の人生をスタートさせた志野さん。

次回、後編では志野さんの農場「オーガニックファーム「やじろべえ」」の取り組みや、これから挑戦したいこと、移住を考えている方へのメッセージをご紹介します。お楽しみに。

【インタビュー時期:12月】
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