2015.12.12 [ 自然・山・花 ]
石蕗の花に 【井月さんのこころ144】
井月さんのこころ シリーズ その144
4日(金)来年6月5日開催予定の第67回全国植樹祭ながの2016に併せて開催する上伊那地区県民植樹に向けて、実行委員会が設立されました。
来年の全国植樹祭は、天皇皇后両陛下をお迎えして長野市のエムウェーブをメイン会場として開催されますが、広大な長野県の全域をステージとする開催方針であり、上伊那地区においても式典開催と同日に伊那市の鳩吹公園で植樹を実施し、その様子がエムウェーブなどと中継で結ばれる予定です。
この上伊那地区における県民植樹は、平成28年度の上伊那郡市植樹祭を兼ねて実施することとし、関係行政機関、林業関係団体の御賛同をいただき、実行委員会を立ち上げて開催準備に当たることになりました。
現在、上伊那管内では、来年の植樹祭開催に向けて、皇后陛下にお手植えいただくタカトオコヒガンザクラの苗木の育成のほか、県民植樹などに使うコナラ苗木(スクールステイにより16校約5百本、ホームステイにより103件約4千本)の準備、木製プランターカバーの製作・飾り花の栽培など県民参加運動による取組みが進められています。
7日(月)は、二十四節気の「大雪」でしたが、伊那谷は小春日和の晴天で、一日中、穏やかな日差しが降り注いでいました。
井月さんがこの季節に詠んだ句です。
鳴かぬ蚊の日向を飛ぶや石蕗(つわ)の花 井月
以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
蚊は夏出盛るが、秋冬に残るのも希にある。鳴かぬ蚊は弱った冬の蚊とみる。蚊が日向を飛んでいる。憎い蚊も今はいじらしい。
つわは、つわぶきで、菊科の常緑多年草。蕗に似て、葉はより緑濃く鮮やか。花は、晩秋初冬長い花茎に、黄色い頭状花。伊那より北では庭に植えてもいつか消える。温暖な南信濃では元気に栄えている。咲き盛る花と弱った蚊と。
(石蕗の花・冬)
石蕗の花、方々探しましたが、なかなか目にする機会がありませんでした。先月29日、横浜へ出かけた折に道端に咲いているところを撮影させていただきました。
横浜市開港記念会館や横浜開港資料館へも寄ってきました。横浜市開港記念会館のシンボルである時計塔は、「ジャックの塔」の愛称で親しまれており、高さは約36mです。神奈川県庁(キング)・横浜税関(クイーン)と共に、横浜三塔と呼ばれています。
さて、その横浜へペリーが上陸したのは、嘉永7年(安政元年)のこと。当時、井月さんは33歳、伊那へやってくる少し前のことになります。
ペリーの2回目の浦賀来航により開国を迫られた幕府は約1か月の協議の末、開国要求を受け入れ、ペリーは約500名の将官や船員とともに、嘉永7年2月10日(1854年3月8日)横浜村に上陸して、3月3日(3月31日)現在の横浜開港資料館中庭で日米和親条約が締結され、その4年半後の安政5(1858)年に神奈川沖ポーハタン号船上で、日米修好通商条約が締結され、翌安政6年6月2日(1859年7月1日)を開港の日と決められました。そしてこの記念館近くに運上所(税関)を置き、これを中心に横浜町が誕生していきました
横浜市開港記念会館は、横浜開港50周年を記念し、横浜市民からの寄付を募り建設された記念建造物であり、大正6(1917)年7月1日に「開港記念横浜会館」として開館したとのことです。
横浜開港百周年を記念して編纂された『横浜市史』の収集資料を基礎に、昭和56年(1981年)に開館した横浜開港資料館の中庭にある「たまくすの木」の前に、ペリーに随行した画家ハイネが描いた「ペリー提督横浜上陸」のレプリカがありました。この絵の右端に描かれているタブノキが「たまくすの木」で、関東大震災による被災など経て現在でも健在とのことです。
幕末の伊那では、明治維新を遡る20年前、井月さんが伊那にやって来る10年ほど前、そして、ペリーの黒船艦隊が日本にやってくる数年前の嘉永元(1848)年に高遠藩の内藤家第7代藩主 頼寧(よりやす)公の命によって末広村(現在の伊那市美篶末広)一帯の開墾が行われ、嘉永4年9月六道の堤が完成したことなどについては、遡回その7に記しました。
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