2015.04.25 [ 自然・山・花 ]
花盛りの頃 【井月さんのこころ111】
休戸公民館の神殿には、正一位秋葉神社の掛け軸の前に智拳印を結ぶ大日如来がおわします。向かって右隣には、手首が欠けてしまっていますが、施無畏・与願印をしていたであろう釈迦如来と思われる立ち姿の佛様が扉の奥におられます。
ここ休戸耕地も明治の廃仏毀釈の前には、信濃国二之宮矢彦神社の別当で今では廃寺にされてしまった真言宗矢彦山神光寺(やひこさんじんこうじ)の檀家と曹洞宗有冨山祭林寺(ゆうふざんさいりんじ)の檀家が半々の集落であったようであり、曹洞宗の本旨釈迦牟尼如来と難を逃れた真言密教ゆかりの金剛界大日如来とが合わせ祀られているのだろうと思われます。
今年度から「秋葉代参」は止めて、事前に郵送により祈祷していただいた神符を取り寄せました。大奉3枚は、公民館の神殿と村中にある幟立ての神殿に納め、もう一枚を総代宅の神棚に置かせていただきます。短冊神符は各戸に配布いたします。
総会では、平成26年度の事業報告・決算報告、平成27年度の事業計画・予算案などについて、御審議をいただき、原案どおり承認いただきました。
秋葉神社神事の直会(なおらい)・懇親会の宴席では、しきたりにより最長老の参加者に献杯挨拶をお願いし、結びには、耕地内の古民家へ新たに転入された農業生産法人の代表者の方に三本締めをしていただきました。
花盛り遠州遙かに火伏神 青巒
憑(たのめ)の里にセシウム避けむ 朴翆
古民家や花咲きて棲むエトランゼ 青巒
前回その110で紹介させていただいた北村皆雄監督(井上井月顕彰会・会長)の井月本、「俳人井月――幕末維新 風狂に死す」に国学者・平田篤胤の廃仏思想の影響を受けて、私財を投げ打って神葬復礼運動を行い、小野村雨沢(現・辰野町小野雨沢)の全戸124軒を神葬祭に変えた倉澤義髄(くらさわよしたか)の話が登場します。雨沢耕地にとどまらず、神光寺檀家であった小野村の多くがその影響を受けて一旦は神葬に変わりましたが、我が同姓の家々も含めて、雨沢耕地を除いてはその多くが祭林寺の客檀家として佛葬に戻り、現在では神仏混淆に何の違和感も感じていない生活を送っているのです。
当時の小野村は、平田国学の独壇場でもあり、井月さんの「佛に親しい尊王のこころ」では近寄り難かった土地であったのかもしれません。
写真は、箕輪町中曽根の権現桜です。久々の晴天の下で18日(土)満開を迎えていました。夫婦桜とも呼ばれ、二本に分岐しているからというだけでなく、 一方の花は赤く、他方は白く咲くというのでこの名前が付けられているのだそうです。この色の違いは、開花する時期のずれが理由で、西方から出た幹の方が2~3日早めに咲くため白く感じます。県内有数の巨木で樹姿が良く整い、樹勢も盛んな名木の一つです。種類は、エドヒガンザクラ、樹齢約千年の風格があります。
ソメイヨシノやヒガンザクラが盛りを過ぎても、上伊那のあちらこちらには八重桜や山桜などが五月連休頃まで見られます。開基千二百年の天台宗羽広山仲仙寺の記念すべき御開帳は、5月8日(金)までです。桜や新緑を見乍ら、ぜひ伊那谷へも足を運んでください。お見逃しなく。
今週の結びは、愚良子先生のこの句です。
「春日愚良子句集」から
花盛り長靴いっぱいに水入れる 愚良子
みずばしょう : 仲仙寺にて
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