2013.03.20 [ 地域振興局 ]
「艶三郎の井」 ~水神様になった御子柴艶三郎~
翌明治29年(1896)正月には、縦井戸(一の井)が深さ約10mで水脈に当たります。
それから五の井まで5本の縦井戸を掘り、331間(約600m)の横穴(高さ1.7m幅1.2m)を掘って結び、明治31年(1898)に工事を完成させました。
私財を投げうち、大きな負債を抱えたとも言われています。
これにより22町歩(約22ha)の水田が開田されました。その後も上の原の下段でも開田され恩恵は40町歩(約40ha)にも及んでいます。
一の井の跡地
艶三郎は、横井の完成と開田を見届けると、春日神社に祈願したとおり自分の命を神に捧げて、水神になることを決意します。
「おれは神様になる。おれは、神になって生きているのだ。おれに会いたくなったら、横井の水源に来い。おれの意志だ。」
そして明治32年(1899)12月10日の未明に自刃します。
家族との別れの杯は、「横井の清水」でした。
辞世の句
海に出る はじめは穴の 春の水
その後、地元の皆さんは頌徳碑を建立し、艶三郎の徳をたたえて「水神宮」としてお祭りしています。
頌徳碑(明治39年建立)
余談ですが、
横井清水のある場所は、中央アルプスと南アルプスに並行して存在する多数の断層を伊那谷断層系と呼び、伊那市の西側を北東-南西方向に走る「小黒川断層」の断層崖です。この断層崖の下には旧石器時代の遺跡が分布しており、断層からの湧水があったためと考えられます。
「艶三郎の井」もこの水脈の地下水を集めており、理に適った場所を選んだとも言えます。
水神宮の東側にある断層崖
水神宮から眺める仙丈ヶ岳
詳しく知りたい方は下記をご覧ください。
上伊那ふるさと叢書 人物編1 御子柴艶三郎~横井の清水を開削し水神となった起業家~
宮下慶正著 岳風書房(伊那市立図書館所蔵)
このブログや記事に関するお問い合わせ窓口
上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804