い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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静かな街道と悲しい峠の由来~牛首峠と初期中山道~

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ところで、この「牛首峠」という名前の由来は何でしょうか。
そんな疑問を抱きつつ、峠を辰野町側に少し戻ると、「牛首塚」という石碑がありました。道路から山に50mほど入ったところなので、少々見つけにくいですが、これがどうやら由来になっているようです。

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近くに看板があったので読んでみると、このような話がありました。

 昔、山口集落(牛首峠のすぐ下の集落)の裏に長者の館があり、ここの長者にはお玉という綺麗な一人娘がいました。村の人々からも「お玉様」と呼ばれ、慕われていました。また、この長者の家では牡の大きな黒い牛を飼っていて、お玉もこの牛を可愛がっていました。
 ある日、お玉は目を患ったのですが、藤沢集落というところの金龍院というお堂の傍にある沼の水が、目の病に効果があるということで、毎日牛に乗って通っていました。そのお堂には、若い綺麗なお坊さんが住んでいて、やがて二人は恋に落ち、世を儚んで心中をしてしまったのです。
 お玉の牛は一匹で帰ってきましたが、その日から田畑を荒らし回るようになってしまったため、村人達は牛を捕まえて首を切り、この地に埋めて塚を作り、松を一本植えて、供養しました。これが現在の牛首塚の場所であり、この峠もいつしか牛首峠と呼ばれるようになりました。

この話に出てくる金龍院にも、牛首峠からの帰り道に立ち寄ってみました。
峠から小野へ戻る途中の中村という集落で県道を逸れ、北へ向かうと藤沢という集落に入ります。集落の中に小さなお堂があり、これが金龍院のようです。近くには小さな池もありました。これが言い伝えに出てきた沼なのでしょうか。

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