2014.09.08 [ 歴史・祭・暮らし ]
歴史散策♪福与城跡(箕輪町)
上伊那魅力発掘探検隊は、箕輪町福与城跡(ふくよじょうせき)へ行ってきました。
福与城は、戦国時代に武田信玄の侵攻に際し、藤原頼親(よりちか)が篭城、伊那与力衆と壮絶な攻防戦を行った城として有名です。
入口です。
手前は駐車場となっています。
この先を進むと
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入口からすぐ、一段高くなった
主郭が見えます。
手前の堀には、大きな管が埋められ
橋のようになっています。
天竜川東岸段丘の緩斜面を利用した平山城で、鎌倉時代に創設されたと伝えられています。建物はこそありませんが、400年以上経った今も当時の空堀や郭がはっきり残り、長野県史跡にもなっています。 城は東西薬330m、南北約440mで、本城、北城、南城に区分されています。
天文14年(1545年)3月、武田信玄は杖突峠を越えて高遠に入り高遠頼継を討つと、福与城へ攻めてきました。勢いにのる武田の大軍に対し、迎え撃つ頼親は約1,500の兵で籠城し、伊那谷への武田進軍を恐れる他の武将の援軍を待ちました。しかし、度々使者を送ったにもかかわらず援軍が来ることはなく、6月には弟の権次郎を人質に送り、城を明け渡しました。武田軍は翌日には城に火をつけたと言われています。こうして、徳川家康も恐れた武田軍を相手に50日にも渡る戦いが終わりました。
今回は、蝉の声だけが響いていましたが、この戦いの中で最も激しい攻防があったとされる4月29日には「福与城址を守る会」による「福与城祭り」が開催されます。 堀跡に咲く水仙と、堀の上を泳ぐ鯉のぼり、そして小学生による城山太鼓の演奏があるそうです。
地元に大切にされている福与城跡です。
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