い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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魅力満載のローカル線!!飯田線~箕輪町編「木ノ下駅」

探検隊OTです。今回は、箕輪町にある木ノ下駅を紹介します。

ホームは線路西側にあり、小さな待合所があります。箕輪進修高校の玄関駅となっています。現在の木ノ下駅の周りは、ほとんど住宅となっていますが、昭和40年代までは田園風景が広がっていたそうです。

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地元区誌によると、伊那電気鉄道が次の御園停留所(田畑駅と伊那北駅の間)開通まで8カ月間、この木ノ下駅が終末駅となったので、飲食店がにわかに集まり、駅周辺はいっときは繁栄したものの、伊那松島駅のように、のちに駅前通りが発生するまでにはいたらなかった。また当時の駅は、現在の駅より南に10mのところにあったとしています。

また、木ノ下駅は、大正6年の大火で類焼したが、大正から昭和初期にかけて、木下区が製糸業を中心に商工業で栄えると共に、駅も次第に大きくなり、東側にもホームが設けられた。箕輪木社の裏には貨物ホームが設置され、木材、米の積み出し、肥料の入荷で駅周辺は活気がみなぎっていた。戦後、箕輪高校(現在の箕輪進修高校)開校により、その下車駅となり、昭和24年に駅舎の新築(平成9年に現駅舎に改築)にあわせて区は駅前広場造成に協力したとありました。

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現在の駅前広場の様子。駅正面からは箕輪南宮神社の御神木の欅(ケヤキ)の大木をみることができます。

<木ノ下駅基本データ>

・無人駅

・ホーム 1面1線

・標高 676m

・開業 明治44年2月

・1日平均乗車人数 421人(平成25年)

(北殿駅と木ノ下駅の間に塩ノ井停留場、久保停留場が、木ノ下駅と伊那松島駅の間に上町停留場がありました)

駅前にあるタバコ屋のおばあさんが店前に出てきたので、昔の様子を聞いてみました。

保線作業用車庫の隣に、昔は日通の倉庫があったことや、駅と保線車庫の間の踏切脇に踏切番小屋があって、踏切の管理をしていたことなどを話してもらいました。(飯田線の駅周辺にある空き地には、何か歴史が埋まっているものだと思いました。)

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駅から南側の北殿駅方面をみると、保線車庫があり、手前の踏切横(写真では右側)の空間に踏切番小屋がありました。

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北殿駅を過ぎると徐々に緩やかな勾配を上り始めます。

特に駅の前後は比較的勾配がきつく、駅南側には保線作業用車両の車庫がスイッチバック式で作られています。

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