い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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魅力満載のローカル線!!飯田線~飯島町編「飯島駅」

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伊那谷は、三州街道、秋葉街道など陸上交通が盛んであったことや、高遠石工のような職人さんが沢山いたせいでしょうか。

至る所で道祖神を見かけます。(辰野町沢底地区には、日本で一番古い道祖神があります。)

(伊那市下島駅編で、道祖神に触れる予定です。)

飯島駅周辺や駐車場が整備されました。

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駅前の「まちの駅いいちゃん」の看板が目立ったので寄ってみました。

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「地域おこし協力隊」の方が、交代で常駐しているようです。利用状況を尋ねたところ、飯島町は人口9千人程ですが、町内に5駅あるせいでしょうか、中学校が1つしかありません。電車通学をする中学生たちが、放課後、電車を待つ時間、ここの大テーブルで宿題をしたり本を読んだりするのだそうです。

地元農家の方が作った無人野菜販売コーナーもあります。窓は中学校の美術部の生徒の切り絵で飾られています。

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建設当時の様子について調べてみました。

路線建設は、伊那福岡駅のあと、田切駅・赤坂駅を経て飯島駅まで一括開通しましたが、田切駅後の飯島駅までの軌道開設にあたっては、伊那電気鉄道の技師は飯島小学校の図書館を借り仕事を始めたそうです。

飯島町誌によると、飯島駅の開業は大正7年2月11日(小学校日誌には、当日曇りであったとされています)で、この電車の開通に合わせて役場から県道を横切り、一直線に駅までつなぐ広小路の道の開通式も兼ねてお祝いされたそうです。当時の様子を、「飯島駅の開通により町は急激な変化を見せた。電車の乗降客でにぎわい、貨物を運ぶ荷馬車が列をなし、乗降客や車夫が利用する飲食店が軒を並べて開店した。」「飯島町のにぎやかな活気は、わずか5か月半の間であった。」とも記されています。

飯島町誌からもう少し引用すると、大正11年、飯島駅と辰野駅間の運賃が95銭(当時の米価1升20銭くらい)で、明治5年新橋と横浜を走った陸蒸気の運賃が75銭(当時の米価1斗5升相当)と比べてもかなり高額な運賃であったことがわかります。

 

そもそも国鉄分割民営化の際、何故飯田線がJR東海になったかというと、昭和18年に私鉄が国有化された時、長野と静岡どっちに属するかが問題になりました。上伊那では政治や経済面だけでなく地域的にも長野管理局を望んだものの、下伊那では静岡管理局を望んだとあります。最終的にはこうした民意より、当時、長野管理局内は電化していなかったので、電化の進んでいる東海道線のある静岡管理局に編入されたようです。

昭和18年国有化された際、飯田線が日本で最も長い電化区間であったというから、先進的な地域が故ということかと思います。

 

この国有化により静岡管理局管轄になったことから、飯田線では大きな変化がありました。

それまで、辰野駅方面を「上り」、豊橋方面を「下り」としていたものが、静岡から見て、豊橋方面が「上り」、辰野方面が「下り」と逆転となったことです。

メリットとして、辰野・豊橋間の運賃が、私鉄時代5円4銭であったものが、国有化されたことで3円45銭に引き下げられたことでしょう。

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