2016.01.01 [ 歴史・祭・暮らし ]
初鶏の声に 【井月さんのこころ147】
井月さんのこころ シリーズ その147
あけましておめでとうございます。
平成28年丙申(ひのえさる)歳。十干十二支の33番目、自身は還暦で2回目の丙申年を迎えます。七歳毎に巡り来る諏訪御柱の年でもあります。
敷妙の枕紙なり宝船 井月
写真は、稲ワラ細工等農村文化伝承者(稲ワラ工芸品づくり名人)で伊那市在住の田中豊文さん作のお見事な「帆かけ宝船」です。農業名人のご紹介は、こちら。
ここで、「申」をめぐる話題をいくつか。
「申」という字は、神が発する稲妻の形からできたのだそうです。「申」は神の使いで、示す偏に申で「神」という字になります。
「申の三番叟(さんばそう)」
猿楽から発展した能楽の演目の一つとして正月や祝賀などの番組の冒頭で演じられるものが「式三番」で、父尉(ちちのじょう)、翁(おきな)、三番叟(さんばそう)の3演目(子孫繁栄を祈る「父尉」、天下泰平を祈る「翁」、五穀豊穣を祈る「三番叟」)を指すのだそうですが、現在の上演では父尉を省略する形が一般的だとのことです。
「得手公(えてこう)」
「難を去る」の「去る」の忌み言葉である「得手」から、猿を指す敬称に変じたもの。
「三猿:見ざる、言わざる、聞かざる」
昨年「四百年式年大祭」が行われた日光東照宮の神厩舎(しんきゅうしゃ・重要文化財)の欄間にある8面の神猿彫刻のひとつが有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿(写真)。
さて、干支で「丙申(ひのえさる)」の次は「丁酉(ひのととり)」で小野御柱。元旦の夜明けを井月さんが詠んでいます。
初鶏や秦の掟をおもはるる 井月
以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
元旦の夜明け一番鶏が鳴いた。鶏鳴といえば、昔中国の秦の国の掟が想起される、という。話は、中国、斉の孟嘗君(?~前二七九頃)が秦の昭王に幽閉されたが、逃げて函谷関に至ると、秦の掟で鶏鳴まで関所は開かない。
ところが、孟嘗君の家来に鶏の鳴き声の上手がいて真似ると、本物の鶏が鳴き、関所が開いてうまく逃げることができた。『史記』に出る有名な話。
(初鶏・新年)
春秋戦国時代、賢人と謳われた斉の田文は、紀元前298年、秦の昭王に宰相として迎えられるが、幽閉されてしまう。しかし、紀元前297年、抱えていた食客による「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の働きで秦を脱出して帰国する。翌年、斉の宰相となった田文は、斉・韓・魏・趙・宋の五国連合軍で、秦を函谷関に破る。斉の湣王(びんおう)に疎まれ殺されそうななった田文は、紀元前284年魏に逃亡し、宰相として迎えられる。斉は、燕・韓・魏・趙・秦の五国連合軍に斉西で大敗する。湣王の死後、田文は再び斉へ迎えられ、紀元前279年に没。田文への諡(おくりな)が、孟嘗君。
休戸公民館の玄関飾り(注連縄・おやす・輪締め)と床の間の注連飾り・鏡餅は、こんな感じになりました。
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