い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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「太田切川橋場礎石」を探しに行ってきました。

取材当日は、天候にも恵まれ取材場所である駒ヶ根市へ向かいました。
現地へ到着し、まず目に入ったのが「春日街道橋場跡」の碑です(歴史を感じますね。)

「春日街道橋場跡」の碑

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「太田切川橋場礎石」とは…
太田切川に架けられた「はね橋」橋脚の礎石です。(現在、橋はありません。)
1968年(昭和43年)2月、河川工事実施中に川のほぼ中央より発見されました。礎石は河床に埋没している巨石(高さ約3m、幅約4.5m)に深さ13㎝、径35㎝の柱穴があります。この礎石によって春日街道の太田切川橋場跡が明確になったとのことです。この橋は、上野橋または北原橋と呼ばれており、明治中期まで光前寺への参拝道路として利用されていました。

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春日街道とは…
 1601年(慶長6年)年、飯田の小笠原秀政氏が春日淡路守を工事奉行として着工、7年後に完成させた道です。伊那街道の西、段丘と西駒山麗の間の平地を飯田から上伊那に入り、辰野町まで続く道です。
豊臣・徳川による争いがあったこの時代に開削され、村落も宿駅もない原野を一直線に走る街道です。開削された理由については、さまざま逸話が残っていますが、はっきりとわかっていません。

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(川の様子です。)

礎石の位置がわかりづらいのが難点ですが、ぜひ一度お出かけください。

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