参加者から質問があると、歴史的事実や、滋野三家と言われる祢津氏・海野氏・望月氏の関係性を踏まえた考察を混ぜつつ、御回答いただきました。
そして登山開始から20分程で、東御市が一望できる山頂につきます。
ここで早目のお昼休憩となりますが、森垣講師から「まだお昼を食べない方」向けに、 “戦国を生き抜いた土の城の最終形としての芸術品” と同氏が評する、巨大なW底の竪堀のある場所で特別講習が開かれました。
森垣講師によると、ここまで大規模な土木工事は、祢津氏単独では難しいと思われ、バックに武田氏や徳川氏がいたのでは、とのこと。
お昼休憩後は、祢津上ノ城へ向かうAコースと、祢津地区の史跡を巡るBコースに分かれます。
どちらも魅力的でしたが、なかなか行く機会がないであろうAコースに参加させていただきました。
下ノ城の堀切などについて、説明頂いた後に下ノ城北側で、それぞれ分かれ、Aチームは更に山道を進みます。
上ノ城の案内看板からは、比較的緩やかな山を登っていきますが、下ノ城と異なりこちらは、いわゆる登山道はなく、私はガイドなしでたどり着く自信はありません。
列になって登っていくと、程なくして上ノ城へ到着。
下ノ城とは異なり、ここは見晴らしもよくなく、こぢんまりとしています。
こちらも祢津地域づくりの会の皆さんに草刈り等をしていただいたのでスペースができていますが、言われなければ、こちらが上ノ城とは気づかないでしょう。
このようなことからも、こちらは、おそらく有事の際の逃げ込み用として、簡単な小屋のようなものがあっただけでは、と森垣講師は推察されていました。
その後は、水の手があったと思われる場所を回りつつ下山し、清和天皇の第四皇子 貞保親王を祀ったと言われる宮嶽山陵神社で、宮司さんよりご説明をいただき、
健事神社、祢津家・松平家菩堤寺である定津院、祢津氏の墓石、長命寺などで御説明をいただきつつ、祢津公民館まで戻って参りました。
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上田地域振興局 総務管理課総務係
TEL:0268-25-7111
FAX:0268-25-7115