はじめまして、企画振興課の木酋と申します。
全国山城サミット上田・坂城大会実行委員会・上田市・上田市教育委員会主催で、11月3日(水)に行われた、山城サミット東御アフター大会に参加しました。
このイベントでは、長野県の元気づくり支援金を活用していただいております。
当日は、東御市祢津公民館にて朝9時からスタート。10分ほど前に到着し、入口でアルコール消毒と検温を済まし入場すると、会場は既に8~9割が埋まっている盛況ぶり。御担当者によると、今回は早々に予約上限に達して、締め切るほどだったようです。
私は、山城に興味はあるものの、いろはのいの字も知らない素人。場違いではないかやや不安になりながら着席すると間もなくプログラム開始となりました。
まずは、今回準備からガイドまでやっていただいた祢津地域づくりの会の方々よりご挨拶いただき、続けて30分ほど山城の講座。
ブログ「らんまる攻城戦記」の管理人として有名な森垣良広氏による、城郭や山城の基礎知識や、今回登る祢津城山についての講義を受けます。
数え切れぬほどのお城を探訪されたこその圧倒的情報量、この地域における歴史などと併せて、見どころを、素人でもとてもわかりやすいように教えていただきました。
今回登る祢津下ノ城は、円郭式の縄張りとなっており、県内の山城では非常に珍しいものとのこと。
講義の後は、いざ城山へ。これから向かう下ノ城はこちら。紅葉がとてもきれいでした。
準備体操をし、
安全に配慮しながら、とても気持ちの良い天気の中、祢津氏の郷を進みます。
そして30分弱で、登山口へ到着です。
ここから下ノ城までの登り道は、祢津地域づくりの会の皆さんに整備していただいており、とても登りやすくなっています。
途中、随所で森垣講師の解説が入ります。
参加者から質問があると、歴史的事実や、滋野三家と言われる祢津氏・海野氏・望月氏の関係性を踏まえた考察を混ぜつつ、御回答いただきました。
そして登山開始から20分程で、東御市が一望できる山頂につきます。
ここで早目のお昼休憩となりますが、森垣講師から「まだお昼を食べない方」向けに、 “戦国を生き抜いた土の城の最終形としての芸術品” と同氏が評する、巨大なW底の竪堀のある場所で特別講習が開かれました。
森垣講師によると、ここまで大規模な土木工事は、祢津氏単独では難しいと思われ、バックに武田氏や徳川氏がいたのでは、とのこと。
お昼休憩後は、祢津上ノ城へ向かうAコースと、祢津地区の史跡を巡るBコースに分かれます。
どちらも魅力的でしたが、なかなか行く機会がないであろうAコースに参加させていただきました。
下ノ城の堀切などについて、説明頂いた後に下ノ城北側で、それぞれ分かれ、Aチームは更に山道を進みます。
上ノ城の案内看板からは、比較的緩やかな山を登っていきますが、下ノ城と異なりこちらは、いわゆる登山道はなく、私はガイドなしでたどり着く自信はありません。
列になって登っていくと、程なくして上ノ城へ到着。
下ノ城とは異なり、ここは見晴らしもよくなく、こぢんまりとしています。
こちらも祢津地域づくりの会の皆さんに草刈り等をしていただいたのでスペースができていますが、言われなければ、こちらが上ノ城とは気づかないでしょう。
このようなことからも、こちらは、おそらく有事の際の逃げ込み用として、簡単な小屋のようなものがあっただけでは、と森垣講師は推察されていました。
その後は、水の手があったと思われる場所を回りつつ下山し、清和天皇の第四皇子 貞保親王を祀ったと言われる宮嶽山陵神社で、宮司さんよりご説明をいただき、
健事神社、祢津家・松平家菩堤寺である定津院、祢津氏の墓石、長命寺などで御説明をいただきつつ、祢津公民館まで戻って参りました。
ここまでおよそ6時間。頭も身体も存分に使い、内容の濃いプログラムだったので、参加された方々も、とても満足されたのではないかと思います。
東御市祢津地区は、東部湯の丸IC近くの一見普通の集落ですが、様々な歴史が詰まった場所であることに驚かされます。
地形と知恵と力を駆使し、ここを作り上げた先人たちは、この場所で何を考え、どのような思いで、この景色を見つめていたのか。
そんな古の時に思いを馳せつつ帰路につく頃は、すっかり山城の魅力にとりつかれているようでした。
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