街道は国道と並走し、秋和公会堂の前を通り、上田バイパスをくぐり上塩尻地区に向かって進みます。
(杉並木跡)
ただの枯れ木(失礼)に何だろうと思い看板を見ましたが、文字が消えかけて読めません。後で調べたところ、真田昌幸が上田城築城の際、西側の秋和村に267本の杉を植えたと伝えられている。このうち1本だけ残っていたものが台風で倒れたため、株に東屋を建て当時の杉並木を偲んでいるとのことです。
(秋和公会堂)
秋和公会堂にある道程という石碑には、北国街道の用途(善光寺参りの旅人、大名の参勤交代、佐渡の金を運ぶ)のほか、秋和の由来として真田昌幸が上田城を築城し城下町を作った際、城下町を囲むように防衛目的で作った村の一つで66戸を街道の左右に配置したこと、同様に作った村には東に踏入、常田、西に秋和のほか生塚、西脇、鎌原、東北に房山、西南に諏訪部がある旨記載されています。
(三角の石に「右ねずみ」と彫られています。)
(豊秋霧原野神社入口にある桜の木に季節外れの花が咲いていました。)
(道しるべの碑、街道の段上にあり、右北国街道、左さくば道(農道)と書かれています。)
そして、じょうしょう気流管内では北国街道の最後となる塩尻地区に入っていきます。塩尻地区のうち、特に上塩尻地区は、「蚕都上田」を象徴する重厚な蚕室、石垣、土塀等の景観が見事です。
(土壁の蔵と石垣の間を進む。)
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