(武田味噌、うだつや親子切り子格子があります。ここで街道が西へ90度折れます。)
(柳町西側入口、土蔵になまこ壁があります。)
柳町を出て、紺屋町に入っていきます。街道を思わせるつくりの家が点在しています。
(和田龍酒造、創業は明治20年とのこと、代表銘柄は「和田龍」。)
(うだつのある家が続きます。)
街道は大きな蔵の前で北に折れ、矢出沢川を渡り再び西そして北にとかぎ状に進みます。この蔵の建つ石垣は、明治時代に上田城を買い取った富豪が、上田城の石垣をこの地に移し積み上げたものとのことです。今では、とても信じられないような話です。
(上田城から移設した石垣の上に立つ蔵)
(矢出沢川にたつ石垣)
そして生塚交差点から国道18号線沿いに進み、正福寺の入り口で街道は国道を離れます。この正福寺に千人塚があります。案内板には、戌の満水で千曲川が平常より10m増水し大洪水となり、海野・大屋から下塩尻にかけて大きな被害が生じ、人馬家屋家財等が流出したこと、当時の上田藩主は河原に流れ着いた死骸を集め正福寺に埋葬し「流死含霊識」という碑を立て供養し千人塚と称した旨の記載があります。
(正福寺の流死含霊識)
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