2014.03.26 [ 職員のみつけた情報コーナー文化 ]
万葉の昔に思いを馳せる -保福寺峠―
地域政策課のYです。
今回ご紹介するのは、青木村と松本市の旧四賀村の境にある「保福寺峠」です。
大和朝廷の時代、全国をくまなく統治するため、中央と地方を結ぶ道(官道)を整備しました。その一つが「東山道」です。東山道は、今の奈良県から岐阜県を通り、伊那から松本を経て、この保福寺峠を越えて、信濃国府のあった上田から碓氷峠を下って関東、東北にまで至ります。
中央の文化もこの道を通じて地方に行き渡るようになったのでしょう。一方で、地方から防人(さきもり)のために徴用に取られて東から西に向かった人も多かったことでしょう。峠には、万葉集の歌碑が建てられています。「信濃路は いまの墾道(はりみち)刈株(かりばね)に 足踏ましむな 履(くつ)はけ吾が夫(あがせ)」 まだ新しい道だったのでしょう。夫を気遣う気持ちがよくわかる歌です。
また、近くには、「馬頭観音」の石碑がありました。峠を挟んで道を上り下りするときの大事な交通手段の馬を祀るためのものでしょうか。
保福寺峠の道は、今は県道181号線。青木村の側から行くと、たいへんに狭く、冬期は閉鎖されます。松本市側の方は車で来るにも良さそうな感じです。
松本市方面を見渡せる所に、「ウォルター・ウェストン 日本アルプス絶賛の地」と書かれた石碑があります。上高地を世界に紹介したウェストン。宣教師で登山家でもあった彼は、明治24年(1891年)に、まだ鉄道が通っていなかった松本に行くのに、信越線が開通していた上田からここを通ったとのこと。そのとき、ここからアルプス方面を見て、その美しさに感動したそうで、彼の著作にそのときの様子が書いてあるとのこと。人力車を使ったとも書いてありましたが、交通手段はともかく、鉄道網の整備が進んでいなかったとはいえ、明治時代、100年ちょっと前までは交通の要衝だったのでしょうか。
保福寺峠の場所
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