2013.07.14 [ 職員のみつけた情報コーナーまちづくり ]
上田の街は博物館 その3 昔の薬は名前が面白い + 製麺機
地域政策課のYです。
上田市の海野町や原町、松尾町など中心市街地のお店にあるお宝を紹介する「上田のまちなか魅せ見せマップ」をたどるシリーズ。3回目です。 これまでのブログ その1 その2
最初は、海野町商店街にある「コウズケヤ薬局」です。この商店街でも指折りの老舗。元は「上野屋」という名前だったのですが、「上野国」=今の群馬県藤岡の豪族が江戸時代初めに上田に移転してきたとのこと。酒造業を営んでいましたが、二代目の子が分家して薬屋を開業。以後、この海野町で薬局一筋営業をしてこられました。
したがって、このお店には江戸時代から伝わるお宝もあります。最初の写真は、この店で作られていた薬「くさの薬」の看板とその版木です。「くさ」とは「かさ(瘡)=できもの」のことで、「首から上一切の腫物によし」と右端に書かれています。「官許」とあるから中央集権国家になった明治時代かと思ったら、江戸時代でも「官許」という言葉はあったようです。上田藩が許可したのでしょうか。
次の写真は、明治時代の薬の看板です。木製ですね。幅20cm、長さ150cmくらい。厚みもあって重厚な感じです。壁などに掛けるためでしょう、上に穴が開いています。右の薬は「心臓圓」と書いてあるのでしょうか。効能も書いてあって、「たむし いんきん 水虫・・・ 皮膚緒炎」とあります。
真ん中の「神薬」は、今は化粧品大手の資生堂が明治初めに創業して出した薬です。ネットで調べてみると、「薬効神の如し」ということから名付けられたようで、一家に一瓶の常備薬だったそうです。モルヒネやクロロホルムなどが使われていて、昭和30年代に製造されなくなったとのこと。
「百毒下し」なんていう、これも何にでも効きそうな名前の薬もあります。今の時代の薬と違って、成分も薬効も劣っていたんでしょうが、病をなんとか治したいという人間の思いが、今の進歩につながっているのでしょう。
次のお店は、コウズケヤ薬局の道を挟んだはす向かいにある「母袋金物店」です。
ここのお宝は、「手動製麺機」。昭和初期から家庭で使われるようになったそうです。今もうどんやラーメン、パスタを手作りするのに使っているお宅も多いでしょう。我が家でも、麺体が固いために手でのすのに力がいるラーメンを打つときは製麺機を使っていました。今は加水率(粉に対する水の比率)を少し高くして(多加水麺と表示しているラーメン屋さんもあります)手でのして包丁で切っています。と、またラーメンの話で字数を使ってしまいました。
日本の製麺機は、てっきりイタリアのパスタマシンが日本でも作られたのが始まりかと思ったら、明治時代、佐賀県出身の方が、試行錯誤の上製品化されたのだそうです。当時はうどんやそばを打つのが中心だったんですかねえ。手打ちうどんや手打ちそばを昔はお母さんが打ってくれたなんていう話を聞きましたが、家庭で手軽においしいうどんやそばを食べるのに、その頃でも製麺機は重宝したんでしょう。
↓↓↓ お店の場所はこちら ↓↓↓
コウズケヤ薬局
住所:上田市中央2-12-12
電話:0268-36-4157
地図:
母袋金物店
住所:上田市中央2-11-16
電話:0268-22-1735
地図:
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