2014.02.12 [ 職員のみつけた情報コーナー歴史 ]
上田の地で赤松小三郎を想う・・・ゆかりの地を訪ねて
地域政策課のHです。
長崎への旅行から端を発した今回の赤松小三郎に関するブログ記事ですが、赤松の生き様を紹介しながら想ったことを書いてきました(その1、その2、その3)。
暗殺により京都で道半ばにして無念の最後を迎えた赤松ですが、大正13年2月に特旨をもって従五位を贈られ、ようやく維新の殉職者の列に加えられ、その無念を晴らします。
そんな赤松を知ることのできる場所が地元の上田には残っています。
そこで、上田に戻り、改めて赤松小三郎ゆかりの地を訪ねてみました。
まず、赤松小三郎が生まれた上田市木町。
現在は生家があったとされる場所にそれと知る面影はありませんが、近くには赤松小三郎を紹介する案内板が設置されています。
赤松の生家があったとされる場所
この案内板は地元自治会の皆さんが赤松小三郎をもっと多くの方々に知ってもらおうと設置したものです。
次に上田市材木町にある月窓寺。
このお寺には赤松小三郎の遺髪が埋葬された赤松家のお墓があります。
そして上田城にも。
城跡公園の東北側に大きな碑が建っています。
この赤松小三郎を讃える石碑は、赤松の教え子で日露戦争において連合艦隊司令長官を務めた元薩摩藩士の東郷平八郎大将らが、日露戦争の戦没兵士を弔うため善光寺に寄進した際に上田に立ち寄り、赤松小三郎の地元であることを知って後日この場所へ建てたものです。
以前のブログでご紹介したとおり、薩摩藩が赤松を暗殺したという説が有力ですが多くは謎のままで、東郷もこの碑を設置した後の取材に対し、赤松の暗殺に関しては話したくないと語ったそうです。
現在、赤松について街なかで知ることができる場所はこれらのみのようですが、赤松の詳しいことについては、上田城跡公園内にある上田市立博物館若しくは映画「たそがれ清兵衛」のロケ地でもある丸山邸内にある赤松小三郎記念館に展示された遺品等において知ることができます。
上田市立博物館には赤松小三郎が実際に所持していたサーベルのような大変珍しい形状の刀(肖像写真に写っているもの)や直筆のノートなども収蔵されており、見ることができます。
また、赤松小三郎記念館では京都の今戒光明寺にあった赤松小三郎の本物の墓石も見ることができます。
なぜ墓石が?と思われるかもしれませんが、実は記念館を設置した「赤松小三郎顕彰会」の皆さんが傷みの酷かった墓石を保存のため引き取ったもので、今戒光明寺には代わりに新しい墓石を寄贈し置いているとのこと。
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