長野県は日本一

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信州人のソウルフード「牛乳パン」

レトロな袋が懐かしい「牛乳パン」。

県内では数多くの店でオリジナルの牛乳パンが作られていますが、実は牛乳パンは全国区のパンではなく、長野県のご当地パン

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駒ケ根市では、「牛乳パンの生みの親」と言われている中坪氏が在住していることから、平成30年6月に牛乳パンの生みの町宣言を行い、以降各所で県下よりパンを集めて紹介・販売する取り組みを行っています。

 

-------以下、駒ケ根市商工振興課より提供された資料より引用--------

誕生エピソード
駒ヶ根市在住の中坪兼吉(なかつぼ・かねきち)氏84才(平成30年現在)は、約60年前の20才頃、当時伊那市にあった「若増製パン」(=現在は存在しない)に勤務していた。
朝5時頃に年配の女性が店に来て「パンはありませんか」と聞かれ、「こんな時間にはないよ」と一度は断ったが、ジャムがあったと考え直し、女性が「どんなパンでも良い」と言うので、そこにあったパンにジャムを塗って渡した。
翌日もまた来店し昨日のパンが欲しいというが、今度はジャムがなかったため、近くにあった菓子用のバタークリームを塗って挟んで渡した。【牛乳パンの誕生】

するとまた次の日にも来店し、「昨日のパンをいくつでも良いから欲しい」と言われた。近所で日雇い人夫(美和ダムの建設)の賄いをしている人だったようで毎日訪れるようになった。
若増製パンの社長が「中坪、ひょっとしたらこれは売れるかも知れんぞ」と言うことで商品化したところ飛ぶように売れ、最盛期には1日1,000個以上焼いても追いつかないほどで寝る間もなかったという。

パンの改良
当初、牛乳は入っていなかったが、なかなか牛乳を飲むことができない当時の食糧事情にあって、栄養価の高い牛乳をパンの名称にしたことも人気商品となった要因の一つ。そして、実際にパンの生地に牛乳を入れるようになったのは、人気が高まった翌年以降の話。
焼面も最初は角が丸くなってしまい、四角に焼くことは難しかった。また、焼いた皮が剥離してしまう課題もあったが、無数の穴をつけるなどの工夫を重ねた。なお、表面の焦げ目には卵の白身を、生地に牛乳を使うなど改良に10年ほどかかったという。
牛乳パンの販売価格は、当時あんパン約10円に対して20円~25円くらいだった。

県下に普及
人気の高まりを受けて、長野県パン組合(平成28年解散)の理事長を務めていた社長に対して、組合に加盟している各店主から牛乳パンの講習会を行うよう要請があったことで、中坪氏の指導による講習会が行われた。
当時、中坪氏は他店に教えることは反対だったが、社長の「みんなに教え、共有して広げるべきだ」という素晴らしい考えにより、2日間説得されて講習会の講師を務めた結果、県下各地に広がり今に至る人気商品となった。

デザイン
長野県内各地で広く販売されているが、なぜか各店舗のパッケージは非常に似通っている。半透明の白地に、濃紺の「牛乳パン」の文字と共に、就学前のような少年の全身スケッチと、牛の顔等が印刷された独特のデザイン。
東西南北の県内各地で売られているにもかかわらず、似通ったデザインなのは、元々白地に牛の絵が印刷されている県下統一の袋だったが、木曽福島の「かねまる」というパン屋のお母さんが、我が子をスケッチしたものが、長野県パン組合で共有された。

現在の牛乳パン
約60年前長野県で誕生し、改良を重ねられて今の形に。主に長野県内の全域で販売され、60年以上経った今もなお愛され続ける、「長野県民のソウルフード」とも言えるパン。
形状は、長方形や正方形(三角や丸型もあり)のフワフワしたコッペパンのような生地の間に、白いクリームが挟み込んである。
大手パン業者からも販売されている。Pasco(敷島製パン)はパッケージに「信州発」の印刷を施し、関東・甲信越・中部地区で販売。ヤマザキからは「牛乳入りパン」の名称で販売。
銀座NAGANOでも人気だという。

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