2009.10.29 [南信州エリア]
Vol62■飯田に息づく伝統工芸「水引」を再発見!
爽やかな秋は結婚式の多い季節。
結婚式の必需品といえば、何はともあれご祝儀です。
最近ではご祝儀袋も豊富で、あでやかな細工が施されたもの、紙を斜めに折り込んだものなど実に多彩。
そしてそんな華やかなご祝儀袋を最も演出しているのが水引ですよね。
実はこの水引、飯田市が国内最大の製造地で、なんと全国のほぼ7割程度が作られているんですよ。
水引が日本に伝来したのは古く、飛鳥時代。
遣随使の小野妹子が帰国したとき、随からの贈り物に「航海が無事平穏でありますように」という祈りを込めた紅白の麻紐が結ばれていてこれが日本の水引のルーツなんだとか。
水引には贈り物と一緒に相手の幸せを祈るという意味があったんですね。
それからというもの、宮中への献上品は紅白の麻で結ぶ慣例が生まれ、平安時代には「水引」と呼ばれるようになったそうです。
飯田で水引が作られるようになる前、飯田産として有名だったのが「元結」。
この「元結」は髪の根本を結い束ねる紐で、大相撲好きの方なら元結はおなじみですよね。
もともと飯田は和紙の製造が盛んで、江戸時代に普及した元結を当時の藩主が和紙を活用して作らせたのが始まりだったようです。
元禄年間に、美濃から招かれた紙すき職人・桜井文七。当時の元結は非常に弱く扱いにくかったのですが、文七は飯田で修行を積みながら改良に取り組み、遂に光沢のある丈夫な元結造りに成功。江戸に卸問屋を開業してから、この元結はみるみる人気になり、「文七元結」の名が全国で知られるようになったんですよ。
飯田の元結は紙でありながら切れにくい一級品。
綴り用の紐に使われていて、その強度はホッチキス以上と評価され、七夕などの伝統行事などでも目にしているはずです。
歌舞伎や時代劇、日本髪美容院等でも用いられ、もちろん日本相撲協会へも納められているんですよ。
とはいっても明治維新後の断髪令により、生活必需品ではなくなってしまった元結。そんな時に誕生したのが、元結に改良を加えて光沢を出した丈夫な水引だったんです。
実はさまざまな結び方が開発されたのは昭和に入ってからのこと。
金封、結納品などで飯田の水引はどんどん使われるようになったんですよ。
詳細はコチラ(飯田水引協同組合HP)
1998年、長野県で開催された冬季オリンピック・パラリンピックでは、参加選手、役員、海外報道関係者に記念品として飯田の水引細工が贈呈されました。
さらに、パラリンピックでは、入賞者に水引で作られた月桂冠樹が贈られました。
(残念ながら招致が叶わなかった、2016年東京オリンピック招致ロゴも水引をイメージしたものだったんですよ!)
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