2011.12.01 [諏訪エリア]
Vol162■歩いて楽しい♪下諏訪の旅【2】
甲州街道と中山道が出会う町
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こんにちは!「さっち」こと水谷悟子(みずたにさとこ)です。
冬でも“ぶらり歩き”が楽しめる下諏訪の旅の第2回は、江戸時代の宿場町の面影を残すスポットや、豊かに湧き出る温泉などをご紹介します。
前回もご紹介しましたが、下諏訪は江戸時代、「五街道」の「中山道」と「甲州街道(甲州道中)」が合流する宿場町として栄えました。
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「合流之地」の碑
二つの街道が合流する場所には、こんな石碑が建っていましたよ。
中山道は、ここでほぼ直角に曲がっています。
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手前の道路の先が甲州街道、右へ曲がる道が中山道
「合流之地」の碑のすぐそばに、「綿の湯」と書かれた不思議なモニュメントを発見。大きな丸い石が、絶え間なく流れ出るお湯に浸されていました。
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これは一体何でしょう?
これは、綿の湯源湯「湯玉」モニュメント。
「昔、女神様が諏訪大社の上社(諏訪市)から下社(下諏訪町)にお移りになった時、お化粧用に使っていた愛用の綿を温泉の湯に浸し、「湯玉」にして持って行った。下諏訪に到着し、手にしていた「湯玉」を置いたら、そこから温泉が湧き出した…」という伝説にちなんで置かれたものなんですよ。
言い伝えによると、心の汚れた人が綿の湯に入ると湯口が濁るんだとか。
お湯に触れても大丈夫かしら?と、恐る恐るお湯に手を入れてみました。あっ、濁らない!よかった~!!
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本陣入口
「合流之地」の碑のすぐ近くには、下諏訪宿の本陣もありました。
この本陣・岩波家は、江戸時代、「問屋」として宿場内の交通運輸の一切を取り仕切っていたそうで、帳簿や印鑑など、当時の貴重な資料が展示されていました。
一番の見どころは、将軍家に降嫁した皇女和宮様も宿泊されたという「上段の間」と、中山道随一といわれた美しい庭園。
和宮様は、ここ「下諏訪宿」から中山道最大の難所といわれた「和田峠」を越えて、次の宿場「和田宿」へ向かわれたんですね。先月“東信州 中山道を行く”の旅で訪れた「和田宿」など、いくつかの宿場のことを思い出しました。
江戸へ向かう和宮様は、峠越えを前に、ここではどんな気持ちでお過ごしになったんでしょうか…。そんなことをあれこれ考えながら、美しく紅葉したお庭をしばらくぼ~っと眺めていました。
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