2013.06.13 [■I ♥信州(あいラブしんしゅう)]
<VOL.231>I♥信州(あいラブしんしゅう)
夢は北相木で夏フェス!(1)
「I♥信州」は、長野県外から信州へ移住された方に、移住のきっかけや信州での暮らしの様子をお伺いし、長野県の魅力をさらに伝えていこうというコーナーです。
第12回目のI♥信州は、東京都から南佐久郡北相木村に移住された、峰尾勝巳さんにお話をお聞きしました。
峰尾さんは、北相木村の廃校になった小学校で、家具工房「夢屋」を開き、家具職人として物づくりの世界に携わっています。
梅雨の時期が少ない北相木村で季節を告げるハルゼミの鳴き声が聞こえる中、峰尾さんが信州へ移住するまでの経緯をお聞きしました。
■若者文化が大きく変化し始めた東京で抱いた疑問
1953年、東京都で生まれた峰尾さん。幼い頃からピアノを習い、音楽に触れ、学生時代にはビートルズやローリングストーンズをはじめとするロックアーティストに出会い、峰尾さん自身も大きな影響を受けました。
社会が低成長期へと移り変わり、若者文化の劇的な変化や学生運動が盛んとなった時代。
東京にはさまざまな地方から若者が集まり、一つのコミュニティを形成していました。
そこに集まった若者が口々に話していたことは、地域社会から単身出て行くということのハードルの高さです。
自分たちの田舎の良さを話す反面、彼らは何故、恋しい田舎に帰らないのか…。
そこには「一旗上げないと田舎には戻れない」という地方出身者の強い想いがありました。
一旦地域を出たら、何かを成し遂げる、一旗上げて帰らなければ面子(めんつ)が立たない、家には戻れない…という彼らの揺ぎない信念に触れ、峰尾さんは、一旗とはどういうものなのか、地域で暮らすということはどういうことなのか、と疑問を抱きました。
峰尾さん:「彼らの話を聞いていると、東京よりもっと開けた場所がある、面白いところあるんじゃないか、ということを薄々思っていたんです。僕は報道写真家になりたくて、写真の専門学校に通っていたんですが、在学中、仲間とバンドを組んでいたんですよ。そのミュージシャン仲間でも地方から出て来た人が多くて、みんな根性あるんですよね。なんで根性あるのかなって思ったら、やっぱり「一旗上げなきゃ帰れない」っていうところなんです。それで、地域に入るってことはものすごいハードルが高いことなんだなぁ…と思いましたね。」
■写真から音楽、そして家具職人の道へ
峰尾さんは、専門学校卒業後、カメラマンをしながら音楽活動も続け、御茶ノ水で偶然声を掛けられたことがきっかけとなりプロミュージシャンとして活動を始めました。
プロミュージシャンとしての活動はご自身のバンド活動のほか、スタジオミュージシャン、メジャーグループの全国ツアーのメンバーとしてコンサートツアーに参加するなど、数多くのアーティストに信頼されていました。あるツアーの最中、北陸地方での公演の際に宿泊したホテルでの出会いが、峰尾さんの第二の人生のターニングポイントに。
峰尾さん:「富山だったかなぁ、ロビーに素晴らしいドレッサーが置いてあったんです。それを見た瞬間にこういう家具をつくれる人になれたらいいなと思いました。もともと家具づくりは漠然と頭の中にあったんです。それでも音楽の仕事を続けていたのですが、たまたま読んだ、家具づくりの雑誌で家具をつくれる学校があるということを知って、そのページを見てすぐに電話しちゃったんですよね。」
思い立ったら、即行動!若さも手伝って、木曽郡上松町にある長野県上松技術専門校に就学し、そこで1年間に渡って木製家具の設計や製作の基礎を学びました。
左上:工房の中は、校舎だった頃の面影がそこかしこに残っています。
峰尾さんのコレクションであるミニチュアギターや家具。
外には花菖蒲も綺麗な花を咲かせていました。
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