楽園信州

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<VOL.242>I♥信州(あいラブしんしゅう)

I♥信州(あいラブしんしゅう)
百聞は一見にしかず、百見より一行動。笑顔繋がる社会を目指して(1)

「I♥信州」は、長野県外から信州へ移住された方に、移住のきっかけや信州での暮らしの様子をお伺いし、長野県の魅力をさらに伝えていこうというコーナーです。

第17回目のI♥信州は、2011年に東京都から小諸市に移住された小宅春樹(オヤケハルキ)さんにお話をお聞きしました。

小宅さんは現在、小諸市が進めている小諸暮らしプロジェクト「こもろはす会議」の委託を受けた「こもろはす倶楽部」で、移住希望者の方々に移住者の先輩として、いろいろな相談活動や移住者の受け入れ活動をされています。

また、福島第一原子力発電所事故の放射能被災者である子供たちの受け入れ組織「子ども信州ネット」の事務局長として活動しながら、自身も保養宿「招福亭」を運営し、夏休みなどに子供たちの受け入れを行っています。


<自分の生き方を決定付けたアメリカ同時多発テロ、消防士の道へ>

福島県郡山生まれの小宅さん、中学から親元を離れて東海地方にある全寮制の学校に進学し、高校卒業後、都内の大学に進学、大学時代は空手部で汗を流し、ご親族が経営する酒屋さんでのアルバイトに精を出す日々を送っていました。
当時、酒類販売免許の改正に伴い、多くの酒屋さんがコンビニエンスストアに様変わりする中、お店は全国の真面目な酒蔵さんより仕入れた純米酒を集めた専門店として、都内でも屈指のお店となりました。小宅さんはアルバイトをしながら、お店を一店舗任せられるほど充実した大学生活を送っていました。

小宅さん:「大学時代は親戚の酒屋さんの2階に間借りして、その酒屋さんを手伝いながら大学に通っていました。
将来は親戚の従兄弟と一緒に酒屋を盛り立てていこうかなと思っていたのですが、21歳の時に9・11(アメリカ同時多発テロ)が起きたんですよね。
僕はその時に、ニューヨークの消防士さんたちの生き様を見て、もちろん死に行くと思ってあの人たちは救助に駆けつけてはいないけれども、やっぱり自らの危険を伴いながらも救出に向かう姿を見て凄いなって思ったんです。」

多様な専門知識と特殊技術を持って火災現場、事故災害の際にいち早く現地に駆けつけ、「自らの命を賭して人を救う」消防士の仕事に正義感と使命感が芽生えた瞬間です。
小宅さんはその後、世界有数の規模と歴史がある東京消防庁を目指すことになります。

大学卒業と同時に目標を東京消防庁の消防士と定めた小宅さん。
生活の全てを憧れの消防士となるために自分自身に厳しくストイックに突き進みます。

小宅さん:「当時、僕はもう消防士になるということ以外は考えてなかったので、消防士になった時に役に立つかどうかで判断していました。地元の消防団に入って消防署の人たちと仲良くなって話を聞くと、消防士の仕事は24時間勤務で、常に出場体制を維持するため、勝手に署内からは出られない、そこで食事は自分たちで作るため、料理ができないと駄目だと教えていただきました、僕はそうなのかと単純にとらえて、料理屋さんをいろいろ回ってバイトをしました。多い時には三つかけ持ちしたり、中華以外はだいたいやりましたね。」

小宅さん:「バイト先だった銀座の洋食屋さんの料理長が小諸の野菜を取ってくれていて、今も仲良くさせてもらっています。それと都内の自転車便、メッセンジャーもやりました。山手線の環内であれば番地だけでどこか分かります。バイク便には負けませんでしたね。」

<憧れの消防士としての活動と湧き出た思い>

消防士試験を幾度か挑戦し、東京消防庁に入庁した小宅さん。
初任地では直属の隊長に厳しく指導を受けたそうです。

小宅さん:「レスキューの全国大会で日本一を経験したメンバーの一人が僕の隊長でした。消防の訓練の一つに装備を全て装着して要救助者役の隊長を暗闇から助け出すという訓練があります。全ての装備を着ると結構な(20キロ以上)重さなんですが、救助を必要としている人に苦痛を与えないように助け出すということがなかなかうまくいかなくて隊長に厳しく指導されましたね。いろいろなかけがえのない経験をしました。」

小宅さん:「消防隊は火災を消火することはみなさんご存知のことと思いますが、それ以外にも救助活動や危険排除等様々な通報があります。中でも救急隊の応援要請などにより救急現場にも出場するのですが、中には自ら命を断ってしまう方たちの所へ出場するのですよね。特にまだ若い方のケースもいくつか経験してきました。

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