2012.11.07 [ 歴史・祭・暮らし ]
地域の元気創造中! -信州みなこい里山泊覧会イーラ その2-
庭にある社も見せていただきました。立川流の細工、絵馬には多くの寄進者の句があり当時の人々の俳諧への関心の高さがうかがわれます。
梅戸神社へ。創建は文禄二年 (1593) 伊那街道飯島宿の設置に伴い宿場の守護神として祭られ、貞享三年 (1686) 年に現本殿が造られ繁栄を極めたとされます。明治元年伊那県が置かれると、初代北小路知事は県の祭所として崇め、「梅戸の宮」の呼称を梅戸神社に改めました。
本日の目玉!伊那県初代知事北小路大江俊昌卿寄進の幟旗(のぼりばた)。
揮毫は伊那県権大属 青島能登(のと)と伝えられています。(町指定文化財)
宮司さんが幟を広げられるのをわくわくして見守る参加者の皆さん。
駒賀嶽能彌高耳(こまがたけのいやたかに)
天龍河農無絶時(てんりゅうがわのたえるときなし)
筆も書かれている文字も、なんと素晴らしい幟。このままこの上伊那地域の旗印にさせていただきたい位です。
当時の祝詞も拝見。宮司さんより、愛妻家の北小路知事が明治2年奥様の病気平癒の祈願に幟旗を寄進された旨の説明をいただきました。
その他にも普段は見られない社のお宝や町指定文化財の本殿内も拝観させていただきました。「イーラ」ならでは、桃沢先生ご先導ならではの特典です!
本殿南の社殿の中に末社が三社あり、うち一社が秋葉社です。飯島は火事が多かったので(江戸時代に三度、明治時代に二度の大火)部落ごとに火防せの秋葉社が祀られています。特に明治11年4月3日の大火では、町並みの南端の大阪屋から出火し北端の江戸屋まで焼けたことから、「大阪より江戸まで焼けた話」として現在まで伝えられています。火の用心、火の用心!
社務所の部屋に”綱火(つなび)”の写真の額がありました。桃沢先生のお話では、飯島は駒ヶ根とともに三国(さんごく 筒から噴き出す花火)が昔から盛んで、点火等で火薬入りの竹筒を長い綱に走らせる”綱火”は飯島から清内路に教えた、とのことです。
今回ご紹介した以外にも、信州近代短歌の礎をつくったといわれる桃澤夢宅、その高弟で様々な分野に才能を発揮された宮下正芩(まさみね)を始め、宮下烏川(うせん)、井上井月、桃澤茂春、林 譲など飯島町ゆかりの歌人・俳人の石碑や、梅戸神社の文久3年の狛犬ほか境内の石造物、そして伊那街道の始まりの話など、これまで知らなかった飯島町のさまざまな魅力に触れることができ、ほんの半日の探訪ですが私達参加者にとっては大変充実した時間となりました。企画いただいた方々、そして桃沢先生、貴重な機会をありがとうございました。次回のイーラ歴史散歩も楽しみにしております。
皆さんも飯島町 「いなの中路」の歴史散歩、いかがですか!?
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