2013.01.11 [ 歴史・祭・暮らし ]
伊那市歴史シンポジウム「今、なぜ地名なのか」に参加して
次に基調講演2として、伊那谷地名研究会会長の原 董(ただす)先生より、飯田下伊那地域の地名研究についてのご報告がありました。
原先生によれば、ごく小さな土地であっても地名のない土地はない、地名は先人が土地に与えた言葉であり、社会通念であり、先人と私達を結ぶ一本の糸、地域に住むことへの「自覚と誇りにも繋がる文化遺産」であると言います。
そして、この伊那谷は「浴(えき)が深い」と表現されるように、天竜川を中心とした豊かな谷地形の環境は、古代から東西より流入した文化を温存する力を持ち、特徴的な地名が伝えられているといいます。
たとえば、
・「伊那」 朝鮮半島からの渡来造船技術集団「伊奈部氏」が語源
・信仰の川 天竜川の地名の変遷(麁玉河・荒玉河(あらたまがわ)、広瀬川、天中川、天龍川)
・阿智と会地(おうち) 座光寺 恒川(ごんが) 菅野荒野(すがのあらの 万葉集に歌われた地名)等
特に「遠山」は、本来三遠南信の山間地全体を指す地名であり(上村はその入り口としての門村(かどむら)の意味)、かつて南の平野部の人々の豊かで聖なる山岳地帯への憧れのまなざしがこめられた重要な地名なのだそうです。
また、下伊那地域の地名研究活動の状況についてもお話がありました。
・平成8年に16の地域研究団体が集まり連絡協議会が誕生、その活動の中で「地名研究の重要性」が認識され、平成13年「伊那谷地名研究会」を日本の地名研究の第一人者 谷川健一氏を初代会長に迎え発足。
活動として、会員執筆の地名コラムの南信州新聞連載・出版化を始めフィールドワーク・研究発表会・シンポジウム開催、地名の資料化などを取組み。
・下伊那には約4万5千の地名があり、明治期に捨てられた地名も合わせると5万近い。
・地名をあらゆる学問の原点として「地名学」を伊那谷学の中心に位置づけ。
その後パネルディスカッションがあり、白鳥市長からは「地名がこんなにロマンのある面白いものとは思わなかった。ますます興味を持ちました」との感想の後、東駒ヶ岳(甲斐駒ケ岳)の呼び名を例に、住んでいる人が大事にしないと地域の歴史を自ら捨てることになると指摘、市としては、専門的な研究とともに住民が地域をひもとく公民館活動等の両面に取り組みたい旨の発言がありました。
原先生からは、さきの大震災を経て東北ではお祭りが住民、特に子供たちの心の支えになっているとともに、地名を通して地域の見直しが始まっていることが紹介されました。
会場からも、下伊那の研究の素晴らしさに学び、ぜひ上伊那でも連携協力を、データベース化を、といった発言がありました。
そして一番の注目は、私達が地域のシンボルとして当たり前に使っている「いな」という地名の語源が松崎先生(地形説)と下伊那(氏族名説)で見解が全く異なることが公の場で確認されたことでした。(これは伊那谷の歴史上の事件!?なのではないでしょうか。そしてそれは伊那谷における長年の地名研究の成果蓄積があってこそのことであり、”地名ワールド”の深遠さなのだと思います。)
地名やことばの語源の不思議さについて、改めて目が開かされるひとときでした。
皆さんも、身近な地名を一寸気にかけてみることから始めてみませんか?
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804