い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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魅力満載のローカル線!!飯田線~伊那市編「伊那市駅」

駅の横には伊那市駅前交番があり、住民の安全を守ってくれています。

また、私たちが勤務する伊那合同庁舎は、駅から信号1つ渡った場所にあり、県の建物でJRに最も近い建物となっています。

(上の写真左奥の建物が伊那合同庁舎です。)

電車利用者には非常に便利のよい位置にありますが、街中に位置しているために敷地面積が狭く、十分な駐車場スペースが確保できないという不便さもあります。

 

伊那市史によると、飯田線は、昭和40年以降、貨物取扱量や乗客の著しい減少に悩んでいたが、それ以外にも他線にみられない多くの難問を抱えていたとしています。その例として、伊那市内で多いのは踏切で、赤木駅―沢渡駅間で7、沢渡駅―下島駅間で6、下島駅―伊那市駅間で14、伊那市駅―伊那北駅間で9、伊那北駅北側に2箇所あります。飯田線の踏切数は約420箇所で平均466mに1箇所のところ、伊那市駅-伊那北駅間0.9kmに9箇所もあり、100mに1箇所の割合で踏切が近接しています。

シリーズの序章編でも触れましたが、伊那市駅と伊那北駅の間には入舟停留所があり、現在でも当時のホームの遺構が残っています。

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(上の写真の線路右側の石積の部分です。)

ところで、伊那電気鉄道時代の電気の供給について地元区誌によると、伊那市にある小黒発電所(現在は中部電力所有)は、長野電灯株式会社が明治45年に工事着手し、大正2年に竣工した伊那谷で最も古い発電所です。明治45年に伊那町(現在の伊那市駅)まで電車が運転されるようになったため、電車への負荷が懸念されたことから、大正4年7月に伊那電車鉄道会社が発電所と権利を譲渡してもらい、大正5年からは伊那電気鉄道の軌道事業のために供給することが主となったそうです。大正6年からは伊那松島(箕輪町)の変電所へ送電するようになり、伊那松島駅から赤穂駅(駒ケ根駅)までの電車の運転と電灯や電力モーター等に供給したとしています。

また、 駒ケ根市誌によると、明治45年に伊那松島駅(箕輪町)から伊那市駅まで開通したものの、伊那電気鉄道会社の経営状態は、伊那町以南の延長工事を許さない状況にあった。長野県はこれを憂えて、会社に対して工事促進を条件に利子補給として、上下伊那郡の寄付金に加えて県費補助を行うこととし、明治45年度から向こう10年間に毎年25000円ずつ支出することになったとしています。(貨幣価値の比較は難しいですが、伊那市創造館の資料によると大正10年の頃、当時の1円は現在の5000円程度としていますから、現在換算すると毎年約1億5000万円程度負担したことになります。)

 

駅のすぐ近くに「タウンステーション伊那まち」があります。

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シャッター街化する伊那市中心街(商店街)を活性化し再生しようと「伊那まちの再生やるじゃん会」を平成23年6月に発足させ、様々な取組をしています。

このブログでも、伊那街道呑み歩きイベント、バラ咲く街づくり、夏場の毎月最終日曜日の朝開催している伊那まち朝マルシェなどなどご紹介してきました。

郊外の大規模店舗や交通環境の変化、商店主の高齢化や後継者不足といった問題は各地でもみられますが、商店主や住民が知恵を出し合い自発的に活性化への取り組みをしています。

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