2015.08.24 [ 歴史・祭・暮らし ]
土柱と岩の不思議な「お化けキノコ」・・・ 「櫃岩」
みなさん こんにちは。
魅力発掘探検隊のNです。
小澤川と天竜川の合流点は「入舟」という、伊那の夜の繁華街付近です。ここを西へ5~6km程川に沿って遡ると、平沢の集落があります。
この集落の家が途切れた辺りの北側斜面を少し登ると、不思議な岩があります。
頭に2m四方程の大きな石を載せ、その下に岩になりかけた石や土の柱が、地面から4m程の高さに伸びているのです。
石と土の巨大なのキノコとでも言えば、想像していただけるでしょうか。
同行の比較的冷静な化学者おじさん(失礼)は、見るなり「これは、セメントで固めて造った物に違いない!」と言います。
でも、手元の観光案内には「砂礫層が雨などの浸食によってできた土柱です」と確かに書かれています。
このお化けキノコが自然にできた物で、土と石の上に巨大な石が載っているというのです。
この岩は「櫃岩」と言われています。これで「ひついわ」と読むのですが、不思議な名前だと思いませんか?
今では、どの家にも保温機能付きの電気炊飯器があると思います。
タイマーをセットしておけば、朝にはご飯が炊けておまけに一日中温かいという、あれです。
でも、つい40~50年前には、ご飯をお釜で炊くと、御櫃(おひつ)または飯櫃(めしびつ)という木製の容器に移していました。
御櫃は、保温能力は電化製品ほど優れてはいないのですが、適度に水分が取れて冷めても美味しいご飯を食べることができました。
では何故この岩に「櫃岩」などという、台所用品の名前がついたのでしょう?
言い伝えでは、江戸時代の初め寛文年間(1660年代)にこの辺りで境界争いがあり、その際にこの岩の上に「御櫃」を載せて目印にしたのだそうです。
斜面の上は箕輪領、下は高遠領で両者の争いでした。
元禄年間には、高遠藩主が見に来て、「傘岩」と命名したといいます。でも、こちらの名前は残らず、「櫃岩」の方が残りました。
というわけで、この「お化けキノコ」は江戸時代にはもうあったということです。
その後の350年程の間にも東日本大震災や関東大震災等の大地震、何度となく襲う台風や大雨がありました。
それを、この土と石の土柱は耐え続けたのです。
なお、現地には目印はなく、分かりづらいので、見学される方は付近の方に聞いてみてください。その際は怪しい岩ではなく「櫃岩(ひついわ)」です。
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