2014.03.17 [ 職員のみつけた情報コーナー ]
船を背負った神社?
釣りバカONOちゃんです。
上田市にちょっと不思議な光景の神社があるというので、行ってきました。
場所はしなの鉄道「大屋駅」のほど近く。
千曲川を渡る手前の右側を見ると・・・
ありました。
こちらが噂の「大屋神社」。
大屋神社は天保13年6月(1842年)に神明宮と熊野大権現の本殿が二社並びに建てられていたとのことで熊野社と呼ばれていたそうです。
神明宮は、伊勢神宮の内宮の天照皇大神・天照大御神、外宮(豊受大神)のいずれかを祀る伊勢信仰の神社ですが、大屋神社はそのうちの天照皇大神を祀っています。
熊野社は、熊野古道で有名な熊野三山から神を勧請した神社で熊野三山にいる沢山の神様のうち、伊邪那美命と速玉男命がこの大屋神社には祀られているそうです。
二社とも明治時代の火事で燃えてしまったため、新たに現在の本殿一棟を建てたとのこと。
さてと・・・特に変わった様子はありませんね。
お社を見渡してみると・・・ありました。
お社が舟を背負っているではありませんか!
よく見ると何やら札が取り付けられています。
それによると日露戦争の勝利の立役者だった、伊東祐亨、東郷平八郎、上村彦之丞の3人の将軍が上田に立ち寄った際に大屋字外河原の千曲川簗漁場に案内した時に乗った舟をこのようにして保存してあるようです。
欧米の列強諸国、特に無敵とされたバルチック艦隊にアジアの国が勝利したということで当時は大変な熱狂をもって迎えられたとのことで、その立役者の3人の海軍の将軍が同じ舟に乗ることはなかったので、その記念ということでここに保存したようです。
そういえば、地域政策課のHさんのブログでこの3人が赤松小三郎の弟子だったということもあり、上田では特に印象に残る皆さんだったんでしょうね。
さて、境内を改めて見回すと右側にもう一つ鳥居があります。
どうやら、こちら側の鳥居が向いている細い道が昔の北国街道で、かつてはこちらが正面だったようですね。
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