2015.01.05 [ 職員のみつけた情報コーナー歴史 ]
上小ふしぎ発見!?(その25)日本武尊の足跡をたどる@山家神社
前回紹介した鳥居峠に到着した日本武尊は、渋沢川・神川(かんがわ)沿いに上田方面にお下りになり、真田で軍を休められました。尊は科野国造(しなののくにのみやつこ)の祖、神八井耳命(かん(かむ)やいみみのみこと)を祀る山家神社(やまがじんじゃ)を参拝されました。
この山家神社ですが、駐車場に設置された案内板に次のとおり書かれています。(引用に当たり、ふりがなの省略等を行った箇所があります。)
延喜式内 山家神社
御祭神 大国主神(おおくにぬしのかみ) 伊邪那美神(いざなみのかみ) 菊理姫神(くくりひめのかみ)
相 殿 日本武尊 神八井耳神平安時代の延喜・延長年間に編纂の「延喜式 神明帳(じんめいちょう)」と言う法典に収載されている由緒正しき神社である。創立は不詳であるが、この地域の産土神(うぶすなかみ・守り神)であり、四阿山(山頂に奥宮が鎮座)を源とする神川沿岸に生活する人々の「水分(みくまり)の神」として厚く崇拝されている。
上田城の鬼門除(きもんよけ)の神として真田幸隆の時代から上田歴代藩主により信仰され、今日まで大切に守り継がれてきた。
社伝によると養老2年(718年)加賀国(石川県)から白山信仰が伝わり、以来明治まで「白山権現・白山宮・白山さま」の名称で人々に親しまれてきた。
四阿山山頂にある奥宮、そしてそこで行われる神事の様子は、こちらの記事をご覧ください。
また、この神社は真田一族の氏神として崇敬され、神社には、真田幸隆と信綱が永禄5年に奥宮の社殿を修造したことを示す「四阿山奥宮社殿扉」、信綱や昌幸の安堵状などが残っています。
さて、山家神社には今も、日本武尊が参拝した際、手や口を清められたといわれる井戸「神泉社」が残っています。
最初はわからなかったんですが、webで写真を見つけ再訪すると、二の鳥居の先、拝殿に行くに階段の右手前にありました。上記の案内板の境内図には「御神水」と書かれています。格子越しに覗いてみると、地面に丸い穴が開いています。やはり井戸のようです。
拝殿に近づくと祝詞が聞こえてきます。拝殿前に自動車が一台停まっているので、新車の安全祈願のようです。暫くすると宮司さんとオーナーの方が出てこられ、ドアだけでなくボンネットや給油口まで開け、それぞれの場所でお祓いをし、お神酒で清めていました。
給油口まで開けてのお祓い、御利益がありそうです。次に機会があったらこちらにお願いしようかなと思ってしましました。
境内には「真田神社」があります。上田城跡にあることは知っていたのですが、ここにもあることは知りませんでした。
こちらの真田神社ですが、明治19年に真田一族の遺徳を偲び、また、その神霊を慰め、地域の鎮護とするために勧請されましたが、翌年の真田大火により社殿が焼失し、明治21年に再建され、大正8年に現在地に遷座されたものです。
祭神は、真田幸隆大人命、昌幸大人命、信幸大人命、幸村大人命、そして、昭和25年に合祀された旧長村(おさむら)の戦没者の英霊149柱です。
■山家神社はこちら↓↓↓
住所:上田市真田町長4473-ロ-2
電話:0268-72-5700
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