じょうしょう気流 「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

じょうしょう気流

「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

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上小ふしぎ発見!?(その24)日本武尊の足跡をたどる@鳥居峠

鳥居峠 ミステリーハンター見習いのKです。

過日、何気なくFM長野を聞いていたら県歌「信濃の国」が流れてきました。全国放送の番組でご当地ソングに関するメールを募ったところ、「信濃の国」のリクエストが組織票かと思われるほど届き、これに応えて放送されたようです。

これを聞いて、日本武尊(やまとたけるのみこと)が信濃国に入ったルートに複数の説があることを思い出しました。

信濃の国の6番に、「吾妻(あずま)はやとし日本武(やまとたけ)嘆き給いし碓氷山」とあります。
この一節は、日本武尊が東征の帰路、「碓氷山」から信濃国に入るとき、相模(さがみ・神奈川県)から上総(かずさ・千葉県)に渡ろうとした浦賀水道で暴風に見舞われ、これを鎮めるため后の弟橘姫(おとたちばなひめ)が人柱として入水したことを思い出して「わが妻よ」と嘆いた場面を謳っています。

この「碓氷山」(古代の碓日坂・うすいさか)、現在、国道18号碓氷バイパスが通っている「入山峠」とする説と、上田市と群馬県嬬恋村の境にある「鳥居峠」とする説があります。

この鳥居峠説の論拠ですが、上田市真田町にある山家神社の第52代宮司 押森厚氏の「日本武尊御東征帰路碓日鳥居峠説」(「すが平その自然と人文」所収)によると、日本武尊を祀る神社や遺跡は吾妻川から神川に沿って多いが、佐久平には一社のみであることなどを挙げています。

そこで、日本武尊の足跡をたどってみました。

鳥居峠から上田市方面を望む 鳥居峠から嬬恋村方面を望む

ということで、鳥居峠にやってきました。でも、峠のピークは群馬県嬬恋村のようです(^^ゞ嬬恋村のホームページにも鳥居峠で尊がお嘆きになったとあります。(最初の写真にある「鳥居峠」の碑の裏にも同様のことが書かれています。)

嬬恋村の名前の由来
 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」(略)その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。

鳥居峠から見た四阿山 この峠の北に位置する四阿山も、日本武尊に関係します。
尊がお嘆きになったことから「吾妻山(あずまやさん)」と呼ばれていたのですが、後世、山の形が屋根に似ていることから「四阿山」と書き誤ったものだそうです。
この頂上から少し下ったところにある岩穴には夏でも氷があることから臼氷(碓日)の名が起こったと伝えられているとのこと。(現在もあるのかは不明です。)
また、山頂にはお宮があって尊を併せ祀っています。そんな四阿山については、こちらの投稿をご覧ください。(続く)

■「鳥居峠」はこちら↓↓↓

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