2013.10.28 [ 職員のみつけた情報コーナー歴史文化 ]
上小ふしぎ発見!?(その14) 県宝のある場所は岩の上!?
ミステリーハンター見習いのKです。
過日、大門街道(国道152号)を白樺湖に向かう途中、道路脇に「県宝 仏岩(ほとけいわ)の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)」と書かれた看板を見かけました。しかし、駐車スペースはあるものの、お寺は見当たりませんでした。
帰宅後、場所を調べたところ、30分ほど登った岩の上にあるとのこと!
今回は「仏岩の石造宝篋印塔」のご紹介です。
道路脇の看板の後ろにある道を行くと、山のあちこちに大きな岩があります。溶岩が流れるときに飲み込んだのでしょうか、小さな石から大きな岩までいろいろな礫を含んでいます。中には、いつ転がり落ちてもおかしくないような岩もあります。
東屋を横に見つつしばらくすると梯子が見えてきました。それを登って、左に回り込むと今度は鎖が。それを頼りに登っていくと、またも梯子が。その梯子を登って上に出ると最初の写真の風景が目の前に広がります。さらに梯子を登るわけですが、最後の梯子はきしむ音と梯子の下に見える岩の隙間で少々怖い思いをしながら登って、ようやく宝篋印塔のある場所に到着です。
南 大門街道 北
この宝篋印塔ですが、江戸時代の文政10年(1827年)10月、岩茸採りに出かけた村人が見つけたもので、当時もこの宝篋印塔についての言伝えなどはなく、村方衆数人が調べに行き、崩れていた塔の石に刻まれた文字を写し取ったりしたそうです。
昭和34年(1959年)に長野県宝に指定された際の調査で、基壇の銘から応長元年(1312年)8月に造られたことが判明し、年号が刻されたものとしては県内最古の宝篋印塔であることがわかりました。
この塔には相輪がありませんが、大正時代の写真には相輪があるので、その後、前記調査までの間に欠けてしまったようです。なお、相輪を除く高さは85cmとのこと。
また、この塔には宝篋印塔の特徴である、段々の笠の四隅にあるはずの隅飾がありませんが、後に炭焼きに来た人が仏岩の下に落ちているのを一つだけ発見しました。
この発見もあり、その後の調査により、翻訳なしでそのまま読誦すると諸々の障害を除き種々の功徳を受けるといわれる宝篋印陀羅尼(だらに)という経典が、塔の隅飾から笠部、基礎部にほぼ全文が刻まれていることがわかりました。そして、笠部、塔身部の向きが間違っていることがわかり、正しい向きに組み直されました。
こうした調査から、この塔は、関東形式が定形化する前の塔であること。また、鎌倉時代の宝篋印塔で宝篋印陀羅尼のほぼ全文が刻まれているものは、この塔のほかにはほとんど例がない、極めて珍しい貴重な塔であることが判明しました。
しかし、この塔を誰が、何のために、このような場所に建てたのかは依然不明とのこと。
往復1時間で、まだまだ解明されないことが多い宝篋印塔を見ることができます。そして素晴らしい眺望が待っています。
皆さんも天気の良い日に仏岩に行かれてはいかがですか。
(おまけ)
下山したのが丁度昼時だったので、以前釣りバカONOちゃんがデカ盛のかき揚丼を紹介した利休庵さんで昼食をとることにしました。
ここに来たからにはかき揚げは外せません。早速、かき揚げとダッタンそばを注文しました。
かき揚げは、ごぼう、人参、紫玉ねぎ、大葉、インゲン、かぼちゃ、パプリカなどいろいろな野菜にえびも載っており、ボリュームたっぷり。かき揚げだけでお腹がいっぱいになるほどでした。
ダッタンそばは、きれいな黄色をしていて、癖もなくおいしくいただきました。そば湯も薄い黄色で、注文時にお願いするとお土産用にペットボトルに入れていただけます。
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