2016.05.13 [ 職員のみつけた情報コーナー文化 ]
池波正太郎真田太平記館と二人の信繁
地域政策課のK2です。
上田市中央にある、池波正太郎真田太平記館で、「真田太平記に描かれた武田氏」という企画展をやっているので見に行ってきました。
大河ドラマ「真田丸」効果に加え、休日ということで、周辺の駐車場は大変混雑していました。
館内は撮影禁止のため、残念ながら画はご覧いただけないのですが、常設展示では池波正太郎氏の愛用品のほか、鬼平犯科帳、剣客商売などの作品紹介があり、真田太平記コーナーでは登場人物の紹介や地形模型など、興味深い展示が並んでいます。
正太郎氏が描いた年賀状も展示してあったのですが、小説ばかりではなく、絵も上手いんですね。非常に味わい深い作品ばかりでした。なんでも、夏から師走にかけて、千通を超える年賀状の宛名をすべて手で書いていたとのことです。
企画展室に入ると、立派な「武田信玄甲冑レプリカ」が目を引きます。さすがお屋形様の甲冑はカッコいいです。
他にも真田氏と武田氏の歴史上の様々な資料があり、時間をかけてじっくり見たい展示ですね。この企画展は5月29日日曜日までやっていますので、興味のある方はお出かけください。
管内には、真田太平記の挿絵ギャラリー、書籍やグッズ販売、喫茶もあります。
県内の真田関連6施設を巡るスタンプラリーもやっていましたよ。
太平記館を後にし、すぐ近くに真田十勇士ガーデンプレイスがあったので、帰りにちょっと立ち寄りました。
残念ながらその日はイベント等やっていなかったのですが、「忍法雲隠れの術」を会得してきました。(さて、私はどこにいるでしょう?)
ところで、現在人気放送中の大河ドラマ真田丸の主役、真田信繁ですが、この信繁という名前は、父昌幸が、かつて仕えていた武田信玄の弟である武田信繁にあやかって名づけられたという説があります。
残念ながら信繁は、第4次川中島の戦いの激戦で命を落としてしまいますが、信玄からの信頼も厚く、部下からも大変慕われていたとのことで、信繁の残した家訓は徳川幕府の江戸時代にも武士の心得として広まっていたそうです。
その武田信繁の墓が実は東御市からちょっと小諸市に入ったところにあるそうで、今回はこちらもご紹介します。
由来を読むと、川中島の戦いで信繁が亡くなったた際、激戦地のため、とりあえず首から下の身体のみを埋め(現在の川中島典厩寺墓所)、首級のみ当時甲州の領地だった小諸に運ばれた末、現在はこの墓碑の下に眠っているとのことです。
真田氏と武田氏つながりということで、最後は首塚の話になってしまいましたが、こういった歴史的な資料やゆかりの地を見て回るのもたまにはいいですね。
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上田地域振興局 総務管理課総務係
TEL:0268-25-7111
FAX:0268-25-7115