2013.10.25 [ 南信州の観光・自然・花 ]
飯田城下を往く ③リンゴ並木
飯田の街のシンボルとして「リンゴ並木」を思い浮かべる方も多いかもしれません。
この並木は、中央通りから飯田動物園のある扇町まで約400mにわたり南北に飯田の街を貫いています。
【中央通りから望む】 【動物園付近】
そのリンゴ並木は今年60周年を迎えました。
昭和22(1947)年4月20日、飯田の街はほぼ街中を焼き尽くす大火に見舞われました。大戦での戦火を免れ新しい時代が始まったばかりの頃、街の人々の喪失感はどれほどのものだったでしょう?
大火からの復興を図る中で、リンゴの実る明るく美しい街をつくりたいという飯田東中学校の生徒たちの提案を緒としてリンゴ並木は整備され、彼らの手により樹が植えられ、手入れされてきました。
昭和28(1953)年に最初の約40本が植樹されて以来、今年で60年が経過しました。
【中央通り~松尾町間】 【松尾町~通り町間】
【通り町~本町間】 【本町~知久町間】
【知久町~扇町間】 【並木は花壇に囲まれてます】
初めの頃は、植えた苗木が枯れたり、丹精込めて実らせた果実が盗難にあい収穫できたのは数個だけ、といった苦労もあったようです。犯罪自体に時代の貧しさを感じてしまいますね。
生徒たちはこうした困難にも負けず、生徒会活動として脈々と60年間並木の手入れを続けてきました。
今ではたくさんの果実が結実し、盗難しようとする不届きな市民は1人もおりません。
【作業をする生徒たち そう、この和手ぬぐいこそ作業の伝統的装束】
もちろん街場の学校ですから、家で果樹園をやっているという生徒はおりません。花付けや摘果といったデリケートは作業は専門の農家の皆さんの指導の下に取り組んでいます。
【リンゴの花咲く頃】
【今ではこんなに立派に結実】
こうした活動は全国の皆さんからも応援をいただいています。なかでもペンネーム「ビンゴなみ」さんからは、戦争で亡くなられた息子さんの姿をリンゴ並木に重ねられ、毎年激励の手紙を送っていただいたり、実際に2度ほど飯田にお見えになるなど交流を深めました。
残念ながら平成7(1995)年にお亡くなりになられたそうですが、それまでの卒業生で「ビンゴなみ」さんの名前を知らない者はありません。
【ビンゴなみさんの句碑「夢みのれ 真珠の願い 青空に」】
リンゴ並木は平成11(1999)年に再整備され、車が通行しにくい歩行者優先の通りとなりました。
先ほどの句碑のほか歌碑や彫像も配置されています。
周りにはちょっとお洒落なお店も営まれ、また休日にはよく歩行者天国が開催されるなど、飯田の街はリンゴ並木を中心として活性化が図られています。
【歩行者優先の並木 車は通れるけど遠慮しながら走ってね!】
【夢と希望の像】 【日夏耿之助の歌碑】
【獅子舞フェスティバルで賑う並木】 【竹宵まつりもここが主会場】
<地域政策課>
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