南信州お散歩日和

南信州は、広い長野県の南端に位置しています。やわらかい方言が使われ、人も土地柄も温かく穏やかな当地域には、 各所に温泉があり、賑やかなお祭りもたくさんあります。 この地域ならではの魅力を職員がお伝えしていきますので、 南信州にどうぞおいでなんしょ!

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【信州 山の月間】 秋葉古道を歩きたい!(大鹿村居森山)

こんにちは!商工観光課です。

5/31(土) 「大鹿村秋葉古道歩き隊」主催のウォーキング(鹿塩地区と大河原地区を結ぶ居森山コース)に参加してきました。
秋葉街道は、古くは縄文、諏訪信仰の道、そして火伏せの秋葉信仰(AKBアキバの語源!)につながる、長い歴史を有する古道です。
私も”あきばこどう”歩きたい!?
(写真手前が居森山(いもりやま)、奥が大西山)

 

鹿塩地区の塩の郷直売所に集合!


 

 

 

 

鹿塩川を渡り古道の入口へ。

 

 

 

 

杉並木の中の山道を上りきると

松の巨樹が出迎えてくれました。大鹿村の名所名木「夜泣き松」です。

永年の風雪を生きぬいてきた圧倒的な威厳、存在感です。夜泣き松の不思議な物語はこの後すぐ!

夜泣き松を下りた峠は、ジオサイト「中央構造線断層鞍部」同行された中央構造線博物館の河本館長さんに説明いただきました。右写真の館長さんが立っている道の1/3あたりに日本列島を二分する中央構造線が走っているとのことです。

 

 

 

 

「夜泣き松の守り人」菅沼 鑑二さんにお話を伺いました。
夜泣き松の由来は、この地に暮らした南朝の宗良親王が皇女様の夜泣きに大変苦労されていたとき、名主の枕元に観音様が立ち、この松の木の枝を姫様の枕元に共すると夜泣きが止む旨のお告げがあり、そのとおりとなったので、以後子供の夜泣きに悩む親達の拠り所となっているからだそうです。
こうした土地の昔話は、松の根元のお堂の堂守であった近所の菅沼 松栄おばあさんから孫のように可愛がられながら聞いたのだそうです。この松の申し子のようなおばあさんから、鑑二さんはいつも「松を大切に護っていくように」と言われていました。
この松には、一度は不始末の火事、また一度は原因不明による立ち枯れの危機があったそうなのですが、その度に第六感、そして三晩続けて夢の中に松の精と思われる女性が現れたことがあり、菅沼さん達が松に処置を施すと生命力を取り戻したことがあったそうです。また、菅沼さん自身が大病をされた際も夢に松が現れたおかげで元気になられたという経験もされたそうです。
山の暮らしの中での、樹木とひととの交流の、昔話のような 宝物のような お話 詳しいお話は夜泣き松の下の家に暮らされている菅沼 鑑二さんまで。
(菅沼さんは、「大鹿村さくらの会」会長として、村の桜の名所 大西公園の桜を育てる活動も続けられています。)

 

 

 

 
(左)二宮金次郎の像の立つ居森山入口 (右)林の中の急な登りを20分ほど登りきると。

居森山の頂上へ。鹿塩集落、これまで歩いていたルート、そして夜泣き松が一望の絶景です。

 

 

 

 

かつては神社のお祭りの日は大勢で登ってきてにぎやかだったそうです。山頂でのお昼ごはんの後は、伊東 和美さんによる民話の朗読を聴きました。伊東さんはかつてあった「大鹿村民話の会」を復活する活動に現在取り組まれています。

下山の前、名残り惜しくふるさとの景色を心に焼き付けます。

 

 

 

 

皆さん下りに気をつけて!

伊那坂東十九番札所の中尾茶屋堂。忘れられつつある「伊那坂東三十三所霊場」を全て巡られ、調査を続けられている大久保 智夫さんのお話を伺いました。今後その貴重な成果を冊子として発表されるそうです。

 

 

 

 

普段厳重に閉じられているお堂が公開され 美しいお姿の観音菩薩像を拝観できました。

 

 

 

 

よくがんばりました♡ ゴールの大河原まであと少しです。

真夏の暑さとなったこの日、皆さん大変お疲れ様でした!この充実感を胸に、また一緒に秋葉古道を辿りましょう!!

【秋葉古道歩き隊 連絡先】
電話 0265-39-2778 (小倉さん)

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