2013.07.22 [ 南信州の伝統・文化・史跡 ]
飯田城を歩く ④出丸篇
今回は出丸を歩いてみましょう。
出丸とは、外部の敵に攻撃を仕掛けるため城本体の外側に張り出すように設けられた曲輪の意味合いで、江戸期には年貢米を蓄える米蔵がありました。
今は、飯田市立追手町小学校が建てられています。
追手町小学校は、明治5年(1872年)創立の歴史と伝統を誇る小学校です。
その校舎と講堂は国の有形登録文化財に指定されており、とても趣のある学校です。
【有形登録文化財の校舎 イイ感じでしょ!?】
【校庭から校舎を見る】
かつては生徒数1000人を超える非常に大きな学校でしたが、街場の学校のご多分に漏れず人口のドーナッツ現象や少子化の影響を受け、今は1学年1クラス、生徒総数166名の学校です。
【落ち着いた雰囲気の校内】
校長の尾曽先生にお聞きすると「信自(自らの価値や能力を信じて希望に向かって努力し、達成の喜びをもつ)・愛他(他に感謝と共感をもって謙虚に共同・支援を行い、共存の喜びをもつ)」の教育目標の下、人間の命を大切に、児童一人一人が「あとみよそわか」(自ら行ったことの跡を今一度見て確認すること)を心の中で唱えながら、歌声の響く明るい学校づくりを行っているとのことです。
【やはり有形登録文化財の講堂】
夏休みは7月27日から。
プールからは水しぶきを上げる元気な声が聞こえていました。
追手町小学校のホームページはこちらから。
【三の丸と出丸を隔てる欅堀跡】
<地域政策課>
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