2017.03.27 [長野県大町岳陽高等学校教諭 大西浩さん]
高校教諭×山岳部 vol.1
今回、ご登場いただくのは長野県大町岳陽高等学校教諭・大西浩さん。山岳部の顧問でもあり、長野県山岳協会の理事長も務める、まさに「登山の先生」です。山岳部がある高校は、県内で20校ほど。いったいどんな活動をしているのでしょうか?
登山を通じて、高校生に夢を与えたい
- 山岳部の部員は何人くらいなんですか?
今は、1、2年生だけで20人を超えています。女子も結構いて、1年生は女子6人、男子8人です。最近、山岳部に入りたいっていう生徒は増えてきていますね。
- 先生はもともと、山岳部出身で?
高校時代は、バスケット部でした。でも、ちょうど隣の部室が山岳部で、いいなとは思っていました。1年生のときの担任の先生が山好きで、クラスで連れていってもらいましたね。だから、ずっと身近には感じていました。大学は信州大学だったんですが、ずっと常念小屋でアルバイトをしていましたし。
- 夏休みにですか?
年間でいうと、100日くらいは登っていたかな。週末、授業が終わったら山へ行って、月曜日の朝に下りてきて。「常念小屋から大学へ通っている」と言われていました(笑)。
- それで、先生になってから山岳部の顧問に?
最初に赴任したのは飯田の定時制高校だったんですが、そこではバスケット部の顧問をしていました。山岳部はなかったんです。
- じゃあ、先生になってからは、少し山とは離れた感じに?
それが、高校時代に山に連れていってくれた恩師もそうなんですが、こういうことは出会いというかタイミングが大事で。ここでも出会いがあったんです。長野県山岳協会の副会長をしていた人が同じ高校の、しかも同じ国語担当で、隣の席になって。山の話をしたら、一緒にやろうということになりました。
- その先生との出会いがきっかけに。
当時、1980年代は県山岳協会が中国の登山協会と友好協定を結んで、登山技術の交流を始めた時期でした。中国から来た人たちに技術を教える、中国へ行って高山へ登る、ということを1年おきにやっていました。1980年は新疆ウイグル自治区にあるボゴダ峰へ、82年には中国・青海省にあるアムネマチンへ。
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