2016.03.22 [株式会社柳沢林業 代表取締役 原薫さん]
林業×女性経営者 vol.1
- それがきっかけで、林業に?
いえ、すぐには林業とは結びつきませんでした。卒業して1年間は何もせず、どうしようと考えたときに、環境教育についてもう少し学んで、教職を取ろうと思ったんです。もともと、小学校の先生か保母さんになりたいという気持ちもあったので。でも、そのときに「木を読む-最後の江戸木挽き職人」(林以一・著、SERAI BOOKS、1996)という本と出合って、それが転機になりました。
- どんな本だったんですか?
普通、20歳ちょっとで読んで面白い本ではないかもしれないんですが、私にとっては興味のあるものばかりでした。木の話、職人のこと、道具や文化…どのように製材すればこの木を最大限に活かせるかというのを、外から見て判断しなきゃいけないんです。木と真剣に向き合うと何か見えてくるということを、職人の言葉で書いてありました。
- それで、木と関わる仕事をしよう、と。
自然と山、木との付き合い方、山と私たちが生かし生かされる関係があった。そういう文化を継承していきたいと思ったんです。とはいえ、どうしていいか分からなくて。いろいろ調べるうちに、飛騨高山にある「森林たくみ塾」という木工を教えてくれるところがあることを知りました。そこに入るためのお金を貯めようと思っていたときに、井川の技官の方が森林組合の事務員に空きが出るので働かないかと声を掛けてくれたんです。
- ちょうどいいタイミングで誘われたんですね。
実際、井川で働き始めたら、林業そのものに魅せられました。林業は木を育てる造林の仕事と、木を収穫する素材生産、大きく二つに分けられます。私はもともと事務員として入ったんですが、素材生産、木を切り出す仕事をする若手が少なく、技術継承ということもあり、現場仕事もするようになりました。今、思えば事務と現場、両方の経験ができたことは良かったですね。
原さんが森林組合の技官を務めた静岡市葵区井川
- 林業の現場は年齢層も高く、厳しそうなイメージがありますが…。
今、生きていれば80代、90代というおじいちゃんと仕事をしていました。同僚の男性からは「女は教えてもらえるからいいわな」なんて言われたこともありましたが、私が一生懸命だったこともあってか、「俺が一人前にしてやる」といろいろ教えてもらいましたよ。
こうして林業との関わるようになった原さん。結局、井川で3年間を過ごし、その後は長野県伊那市の「KOA森林塾」の短期講座に参加したことをきっかけに、長野に移住します。のちに夫となる炭焼き職人・伸介さんとの出会いもあり、松本へ。場所を変えながらも、原さんと林業の関係はどんどん深まっていきました。
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