2015.03.29 [八ヶ岳山岳ガイド協会(茅野市)名誉会長 米川正利さん]
さまざまな人たちの手で育まれた「山を楽しむ環境」
八ヶ岳は長野県と山梨県にまたがる個性的な山々が連なる山塊。つまり、ある一つの山を指しているのではなく、山々の総称でです。南北で二つの表情を持ち、南八ヶ岳は標高3000メートル級の鋭い岩峰、北八ヶ岳は斜面もなだらかで森が多く、神秘的な雰囲気を漂わせています。
「信州魅力発掘人」、10回目に登場していただくのは、北八ヶ岳にある黒百合ヒュッテ・蓼科山荘の顧問で、八ヶ岳山岳ガイド協会名誉会長の米川正利さん。山荘運営から、山岳ガイド協会、蓼科・八ヶ岳国際自然学校など多岐に渡って活動する米川さんに、山小屋のことや山ブームによる変化などをお伺いしました。
登山ブームを経て知った、山の面白さ
- 黒百合ヒュッテはいつごろから?
黒百合ヒュッテは1956(昭和31)年に、私の母が始めました。私自身は、いわゆる「山育ち」で、父がずっと八ヶ岳で国有林から材木を引き出す会社をしていたこともあり、小学校に入る前からよく一緒に行っていました。私が小学校6年生のときに父が亡くなり、その後、母が山小屋を開くと言い出しました。父が生前、「黒百合平に山小屋を建てたい」と言ってはいましたが、母がそう言い出した理由は、はっきりは分かりません。それでも、体もあまり丈夫ではなかったのに女手一つで始めたのはすごいことだと思います。始めたころはまだ中学生でしたが、手伝うために小屋に入っていました。実際に働き始めたのは20歳くらいから。50年以上、ずっと八ヶ岳に入りっぱなしです。
- そのころはどんな感じだったんですか?
最初は道もほとんどなかったですし、人も全然来ませんでした。ところがちょうど小屋を始めた年に日本隊がマナスルに初登頂して、そこから登山ブームが起こり、人が増え始めました。タイミングが非常に良かった。小屋で仕事をしていると、いろいろな人が登ってきて、そういう人たちと接するうちに、段々山が面白くなってきたんです。皆が、いろいろなことを教えてくれる。話をして、酒を飲んで、仲良くなった人たちがまたやってくる。そうなると、来てくれた人をもてなしたいという気持ちになるんですね。それで本を読んだり、自分でもあちこちの山を登ったりするようになりました。
- どんな山へ行ったんですか?
百名山とは言わないですが、屋久島から北海道まで、好きな山はほとんど行きました。海外も、ヨーロッパやアメリカ、南米、特にアフリカが好きで、ケニアやタンザニア、エジプト、マリにも行きました。私はピークハンターではないので、高く登るというより、麓を楽しみます。実は、松本の染色工芸家・三代澤本寿さんが私の先生で、世界各国に買い付けに行っていたのですが、山も一緒に登っていました。先生は各地の山小屋の皆さんと親しかったので、私も親しくさせてもらいました。今でも山小屋の皆さんとは交流があります。
山に来てくれた人々が、力を貸してくれた
- 米川さんにとって、山の魅力は何ですか?
長野県は山の国。いろんな山がたくさんあります。人が少なくて山のスケールが大きい南アルプスもあれば、アプローチが短くて入りやすい八ヶ岳、険しいけれど人気のある北アルプスと、それぞれ個性を持っています。それぞれに魅力がありますよね。
八ヶ岳は冬でも気軽に登れるところが多い。黒百合ヒュッテも冬場は満員で、夏場よりも人が多いくらいです。私が小屋に入ったころは、冬は閉めていました。開けるようになってからも、最初のうちは月に1人2人くらいでしたが、どんどん来るようになりましたね。赤岳鉱泉から赤岳に登る人、うちの方に来て天狗岳へ向かう人。高校や大学の登山部で冬山の指定になっているくらい、今では冬山登山のメッカと言われるようになりました。冬はまたいいんですよ。柔らかい新雪を踏むとやめられなくなります。
- それだけ多くの人が来るようになると、設備面でも大変ですよね。
山に女性や子どもが増えたのは、トイレを整備した影響が大きいです。山小屋組合でトイレ浄化に取り組み始めたのが1995年ごろ。茅野市や環境省、トイレ協会など、多くの方の協力を得て実現しました。山小屋のトイレもいろいろなタイプがあって、立地条件によって適するものが違います。黒百合ヒュッテでは、浄化槽を作って天水で水をためて、浄化して戻して使っています。トイレ以外にも、ソーラーパネルの導入なども行いました。来てくれるお客さんもアドバイスや協力をしてくれました。
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
営業局
TEL:026-235-7249
FAX:026-235-7496