2015.03.16 [フリーライドアドベンチャーズ(茅野市)代表 ポール・チェットウィンドさん]
マウンテンバイクを楽しめる環境づくりを、少しずつ着実に
マウンテンバイクの聖地と呼ばれるカナダのノースショア、ディープコーブで最初にマウンテンバイクを始めたライダーの一人だというポールさん。1987年にプロに転向後、スキーや自転車用品を扱うメーカーの契約MTBレーサーとして来日しました。後編ではポールさんが来日したときのことや、「フリーアドベンチャーズ」を立ち上げたきっかけ、そして今後のことについてお伺いしました。
「日本」ではなく、「長野」で暮らしたい
- ポールさんが来日したのは?
1992年です。成田空港に着いたときは「こんにちは」くらいしかしゃべれませんでした。私を日本に呼んだ社長は、日本生まれのカナダ人。日本語が上手で、ビジネスライクな人でした。東京に豪華なマンションがあって、箱根にも別荘がありました。最初、私は箱根に住んでいました。長野に行くことも何度もありましたが、箱根から東京へ出て、そこからまた長野に行くという距離も時間もかかるルートだったので、不満でしたね。箱根から自転車でいけば早いのに(笑)。
- 確かに直線距離だと近いです(笑)。
その後、その会社があまり良くない状況になったときに、日本マウンテンバイク協会の人たちが私に「もっと日本で走ってほしい」と言ってくれました。日本はまだ、マウンテンバイクのレベルが低かったので、向上させたいということでした。それで、別のスポンサーを得て日本でレースを続けることになりました。
私としても、日本選手権では優勝していましたが、カナダに戻ったらまたゼロからになってしまうという気持ちがありました。そして何より日本が好きだったので、日本にいたいと思いました。
- 長野へはいつごろに?
長野オリンピックのときは、アイウェアやスポーツウエア製品を扱う「オークリー」が私のスポンサーでした。オリンピックのときはいろいろと手伝いに来ていて、終わってから東京で仕事をするようにと言われたのですが、私は東京には住みたくありませんでした。そのときに、自分が「長野で暮らしたい」と思っていることが分かりました。日本ではなく、「長野」なんだと。
1999年はランキングはまだ4位でしたが、翌年には自転車の大会への出場は少し控えて、「フリーアドベンチャーズ」を立ち上げました。最近は40代で活躍している選手もいますが、当時は30歳を越えると選手としては「もう年だね」と言われる時代でした。そのときは40歳目前で、自分ではまだまだできると思っていたので、難しい選択でしたね。
- それで「フリーアドベンチャーズ」の活動を始めたのですね。
今は旅行会社から依頼を受けてガイドをしたり、自分たちで企画したりしています。この春には新しく作っているショップ、八ヶ岳サイクリングもオープンするので、もう少し街に近いところで皆さんの目に触れるような活動もしていきたいと思っています。
マウンテンバイクの専用道の整備を
- ところで、マウンテンバイクは登山道では楽しめないのでしょうか?
自転車の道は、登山道とは違います。登山道は、急斜面であっても歩行距離が短くなるように作られています。マウンテンバイクの場合は、地形を生かして上り下りできる道でないと面白くない。山の斜面をなだらかに周回するようなコースなら十分に楽しめます。山を踏破する登山の楽しさとありのままの山を乗りこなす自転車の楽しさは、基本的には違うものなので、登山道をマウンテンバイクで上ってもあまり楽しくありません。下りは急だからスピードがあって、楽しめる人もいるかもしれませんが、道が崩れる危険があります。それに登山者と一緒だと危ないです。迷惑をかければ、お互いに山を楽しむことができません。
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