2015.01.27 [ 文化・伝統 ]
もう一つの「松之廊下」
播州赤穂城主浅野内匠頭が、江戸城松之廊下で刃傷に及んだ事件を知らない方はいませんね。
実は、松本城の城主の中にも、同じ松之廊下で刃傷事件を起こして改易になった城主がいることをご存じでしょうか。
☝ 写真は寛永19年(1642)から享保10年(1725)まで6代84年間、安曇、筑摩両郡を治めた水野家歴代の墓です。
五輪塔が9基並んでいます。美ヶ原温泉の少し北、大村の玄向寺にあります。
水野家は徳川家康の生母於大(おだい)の血筋で譜代の名門です。6代藩主・水野忠恒(ただつね)は、『信府統記』という信州の地誌を完成させたことでも知られるのですが、家督相続後に酒色に溺れて政務もままならない状況に至りました。
享保10年(1725)。忠恒は将軍吉宗に成婚の挨拶をするために江戸城に登城。松之廊下を通ったときに、初対面である長府城主の世子・毛利帥就(もろなり)に突然切りかかりました。
この事件で水野家は改易となり、松本藩の治世に幕が引かれました。「松本大変」と呼ばれる大事件です。しかし、その後、叔父が家名を継ぐことを許されたことや、藩主への忠誠心の有無もあってか、忠臣蔵のような物語は生まれませんでした。
水野氏の菩提寺であるこのお寺を訪ねて、もう一つの「松之廊下」と、浪人となった6千余りの家臣に思いを馳せてみてください。
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