来て!観て!松本『彩』発見 歴史と伝統の城下町松本。のどかな田園風景安曇野。そびえたつ雄大なアルプス。自然と文化に彩られたまつもと地域の情報を、松本地域の県職員の発見を織り交ぜつつお届けします。 面白いこと新発見、知ってる人にも再発見、何だこれはの珍発見。当たり前だと思っていたことから、ローカルなことまで職員の発信する情報をお楽しみください。

来て!観て!松本『彩』発見

歴史と伝統の城下町松本。のどかな田園風景安曇野。そびえたつ雄大なアルプス。自然と文化に彩られたまつもと地域の情報を、松本地域の県職員の発見を織り交ぜつつお届けします。 面白いこと新発見、知ってる人にも再発見、何だこれはの珍発見。当たり前だと思っていたことから、ローカルなことまで職員の発信する情報をお楽しみください。

もう一つの「松之廊下」

 播州赤穂城主浅野内匠頭が、江戸城松之廊下で刃傷に及んだ事件を知らない方はいませんね。実は、松本城の城主の中にも、同じ松之廊下で刃傷事件を起こして改易になった城主がいることをご存じでしょうか。

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 寛永19年(1642)から享保10年(1725)まで6代84年間、安曇、筑摩両郡を治めた水野家歴代の墓です。五輪塔が9基並んでいます。美ヶ原温泉の少し北、大村の玄向寺にあります。

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 水野家は徳川家康の生母於大(おだい)の血筋で譜代の名門です。6代藩主水野忠恒(ただつね)は、『信府統記』という信州の地誌を完成させたことでも知られるのですが、家督相続後酒色に溺れて政務もままならない状況に至りました。

 享保10年、将軍吉宗に成婚の挨拶をするために、江戸城に登城し、松之廊下を通ったときに、初対面である長府城主の世子毛利帥就に突然切りかかりました。この事件で水野家は改易となり、松本藩の治世に幕が引かれました。「松本大変」と呼ばれる大事件です。しかし、その後、叔父が家名を継ぐことを許されたことや、藩主への忠誠心の有無もあってか、忠臣蔵のような物語は生まれませんでした。

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 水野氏の菩提寺であるこのお寺を訪ねて、もう一つの「松之廊下」と浪人となった6千余りの家臣に思いを馳せてみてください。

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