楽園信州

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<VOL.241>四季彩だより~信濃の国から~

北と南の両方詣りで御利益!御利益! ~元善光寺~ (飯田市)

10月も最終日。
朝晩の寒さが身にしみるようになってきました。
通勤途中の河原には、白い穂を出したすすきが風に揺られ、白鷺がじっとたたずみ(寒くないのかなぁ?)、家々の庭先の黄・白・桃・紫・橙と様々な小菊の花も咲き始めています。
それにしても、今年の紅葉は? 
木々の色付きがいつもの年より遅いような気がします。
これも暑さのせいなのでしょうか・・・?
さて、今回は、南信州の地にある多くの信仰を集める寺院の紹介です。


長野県南部の中心都市である飯田市。
この飯田市座光寺地区に今回紹介する「元善光寺」があります。
   
元善光寺・・・と聞いて、長野県を代表する観光スポットでもある長野市の「善光寺」を思い出す方も多いのではないでしょうか!?
元善光寺と善光寺。さて、どんなつながりがあるのでしょうか?

元は坐光寺(ざこうじ)と呼ばれていた元善光寺の由来は、古く推古天皇の時代までさかのぼります。
推古天皇10年(602年)に麻績の里(おみのさと)(現在の飯田市座光寺)の住人、本多善光(ほんだよしみつ)が難波の堀江(なにわのほりえ)(現在の大阪市)で、一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけて持ち帰り、自宅の臼の上に安置して41年間供養を続けました。


(今日もさまざまな願い事を託しに多くの人が訪れる)

皇極天皇元年(642年)、「芋井の里(現在の長野市)へ移せ」との仏勅(お告げ)により、善光は自ら本尊を芋井の里に移してお堂を建立し、自分の名をとって善光寺と名付けました。

この時、はじめに善光が本尊を安置した臼が燦然と光を放ったことから、最初に安置したお堂を坐光寺(座光寺)と呼ぶようになったとも言われています。
この臼は、「座光の臼」として、元善光寺の宝物殿に今でも残っており、全国に数体しかないと言われる木造涅槃像、鬼瓦の前身と言われる木彫りの鬼面などと共に公開されています。

本尊の遷座に伴い、勅命により坐光寺には木彫りの本尊が残され、「元善光寺」と呼ばれるようになりました。

この時、仏勅により「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の里の古里に帰りきて衆生を化益せん」という請願を残されたことから、「善光寺と元善光寺の両方をお詣りしなければ片詣り」と昔から言われています。

善光寺(長野市)と同様、7年ごとに御開帳が行われ、全国各地から多くの参詣者でにぎわいを見せる元善光寺ですが、これからの時期、秋の深まりゆく中、静かな境内に足を踏み入れると、静寂の中で、仏様と心が結ばれるようなそんな穏やかな気持ちになるのではないでしょうか。

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