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Vol.29 特集■戦国を駆け抜けた真田一族の里を巡る

1615年、大阪夏の陣。
徳川家康をあと一歩のところまで追いつめ、敵方の島津家久に「真田日本一の兵(つわもの)」と言わしめた、真田幸村。
歴史ファンのみならず、多くの人々を魅了する真田家。
幸隆、昌幸、信之・幸村と、激動の戦国時代を生き抜いた真田家三代が拠点としたのが現在の上田市です。

今回は、真田一族の歴史をたどりながら、「ゆかりの地」を訪ねてみましょう。

※「幸村」という名は小説や講談で名付けられたもので、正確には「信繁」。


■真田といえば六文銭
幸隆は、上田市真田(旧真田町)で真田家を興しました。
その真田の地にある菩提寺の長谷寺(ちょうこくじ)に幸隆とその妻、息子の昌幸が眠っています。

寺の石門に刻まれるのは六文銭。幸隆の代から掲げられた真田の旗印です。
六文銭とは三途の川の渡し賃のこと。「死ぬ覚悟」で主君の武田信玄への忠誠を示したものだともいわれています。

門の脇には、見事なしだれ桜。
戦乱の世を生き抜いた一族の歴史、その強さとはかなさを感じずにいられない場所です。

■希代の知将 昌幸
幸隆の跡を継いだ昌幸は、戦国屈指の「知将」。
(天下分け目の「関ヶ原の戦い」で、昌幸が一族の血を守るため、長男である信之を東軍に、自分と次男・幸村は西軍にと分けた逸話は有名ですよね。)

1582年の「本能寺の変」などで、武田・織田と、領主をたてつづけに亡くした信濃の国は混乱に陥るのですが、そんな時勢の中でも足元を固めるため、1583年に昌幸は「上田城」の築城を始めます。

南は千曲川、北と西に矢出沢川(やでさわがわ)を引き込み、天下に誇る堅城だった上田城。実際、2度も徳川の大軍を退けた実績もあるんですよ。

中でも「奇跡の戦い」として語り継がれるのは、「第二次上田合戦」。
関が原に向かう徳川秀忠の軍は3万8千。立ち向かったのは、わずか2千の西軍・真田昌幸。
いくら城があると言ってもその兵力差はほぼ20倍!

しかし昌幸は、地形を生かし、そして秀忠の心理を読んだ戦略により、徳川軍に大きな打撃を与えて足止めに成功しました。(秀忠の関ヶ原合戦遅刻の一因と言われています。)

しかし、昌幸の奮闘もむなしく、関ヶ原の合戦では西軍が敗北し、昌幸は上田の地を去ることとなってしまったのです?。

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