い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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霜降の頃 【井月さんのこころ137】

  そして、風もないのに桐の葉が、音も無くスーッと地面に………

 井月さんが詠んでいます。

   是れ見よと桐は無言の一葉かな  井月

 「桐一葉」は、「無常」の象徴でもあります。高校時代に恩師の授業で教わった記憶を辿って探してみました。

   桐一葉落ちて天下の秋を知る  中国前漢時代「准南子」(えなんじ)中の名言

   桐一葉日当たりながら落ちにけり  虚子

DSC_2717 坪内逍遥の戯曲『桐一葉』は、五三の桐を紋章とした豊臣家の衰亡と老将片桐且元(かたぎりかつもと = 桐一葉)の悲劇を描いた作品で、明治27年秋から『早稲田文学』に一年間連載され、明治37年に歌舞伎初上演されたとのことです。

 高浜虚子の「桐一葉」の句は、明治39年(1906年)32歳当時の作だそうです。下島勲(空谷)編『井月の句集』が出版されて明治20年没の井月さんが世に紹介されたのは大正10年(1921年)10月25日ですから、虚子の「桐一葉」の句は、それを遡る15年前ということになります。 『井月の句集』は、下島勲(空谷)を主治医とした芥川龍之介(当時29歳)が跋文を書き、芥川の依頼で寄せられた高浜虚子(当時47歳)の句が巻頭を飾っています。虚子が井月さんを詠んだその題句については、いずれまた。

DSC_2704

 先月、義父をかえらぬ旅に送って間もなく七・七日になりますが、義父の後を追うように四・七日目を前に突然義母も逝き、「孝行をしたいと思う時には、親はなく……」が現実となってしまいました。残念でなりません。

 涙をこらえ数々の思い出のエピソードとともに感謝の言葉を気丈に読み上げた姪の弔辞にも心打たれました。合掌。

  露けしや手向けて寂(さび)の身にしみて  青巒

     遺影は笑みて義父(ちち)と並びぬ  朴翆

  義母(はは)送る露けき姪の笑くぼかな  青巒

 井月さんが若かりし頃に詠んだ追悼句です。

   乾く間もなく秋暮れぬ露の袖  井月

 以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
 悲しみの涙を拭って露に濡れたようになった袖が乾く間も無く秋がくれた、という。「右壬子仲秋長野の木鵞の母の追悼句一枚摺中より」と注がある。

 嘉永五年(一八五二)八月木鵞の母が死亡し、その追悼句を集めた一枚の木版摺り中の一句だという。時に井月三十一歳。作句年月の判明している最初期の句。井月青年期の作句傾向を窺うことができる。

  (露・秋)

  壬子(みずのえね):十干十二支49番目の年 1852(嘉永5)年、1912(明治45、大正元)年、1972(昭和47)年

  吉村木鵞:善光寺大勧進の吉村隼人、号「木鵞(もくが)」。

 この時節、井月さんが詠んだ追悼句にはほかにも。

   秋の寂(さび)尽せぬ露の紀念(かたみ)かな  井月

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