2016.09.12 [ 歴史・祭・暮らし ]
魅力満載のローカル線!!飯田線~伊那市編「沢渡駅」
探検隊OTです。
今回は、伊那市にある沢渡駅を紹介します。
沢渡(さわんど)は、難読駅名のひとつとされています。
伊那市誌によると、昔の沢渡駅は、家並みをはずれた田園の中に建てられた駅で、現在よりもはるかに低いところにあったとされています。その後の線路軌道の改善により順次高くなり、今では県道221号線より一段と高い位置にあります。また、沢渡駅は、伊那西高校の玄関駅となっています。
(沢渡駅と赤木駅区間の恩徳寺坂については、前回の赤木駅編で紹介しています。)
上の写真は、伊那市駅方面をみた様子です。
下の写真は、赤木駅方面をみた様子です。2番線にも待合室があります。
<沢渡駅基本データ>
・無人駅
・ホーム 2面2線
・標高 614m
・開業 大正2年12月
・1日平均乗車人数 531人(平成25年)
昭和42年伊那女子高校(現在の伊那西高校)の開校に伴い、利用客の増加に対応するために拡張された駅舎の待合室の内側の壁面には、同校の美術部の生徒たちが描いた絵があります。
市誌によると、昭和37年に、当時の西春近村が設置した専用側線が運用開始となり、昭和46年、国鉄財政再建の基本計画にのっとり、沿線の主要駅だけ残して、小さい駅における貨物取扱いを廃止し、伊那松島駅、伊那北駅、駒ケ根駅と共に貨物取扱駅として残された。沢渡駅が貨物取扱駅として創設以来重要な位置にあったとされています。平成8年3月まで、駅南側(赤木駅寄り)にあった秩父セメントのサービスステーションに至る専用線が分岐していて、現在は線路のみ残っています。(下の写真の左奥部分)
(下の写真は、赤木駅方面に向かい駅の全景を撮影)
地元区誌をさらに調べてみると、飯田線の歴史に関わる記述をみつけました。
昭和22年になると、戦後復興工事が盛んになっていた都市の戦災復旧に使用する鉄骨材やセメントが貨物列車に積み込まれた。荷は重く、車輛も長く連結されて、電力不足の飯田線は、恩徳寺坂を上がりきれず、後戻りするという有様だった。それ以上に大変だったのは、制限以上の荷が積みこまれて運行されるために、レールが沈んでしまったことだった。その沈んだ箇所に礫を入れて保持しなければならなくなり、飯田線で天竜川に1番近い駅から礫を運び出すことになった。その駅が沢渡駅に決まり、引き込み線が駅の東側(天竜川側)に造られて、昭和27年頃まで礫の積み出しのために引き込み線が利用されていたとのことです。その後、地元の陳情など国への働きかけにより、昭和36年、木材運搬のための認可を受けて専用側線が実現した。各種企業も専用線を利用したとあります。昭和40年、市町村合併(西春近村が伊那市に合併)により、西春近財産区が専用線の事務を執り行ったとされています。
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