2016.03.31 [ 歴史・祭・暮らし ]
春霞の余白に 【井月さんのこころ160】
井月さんのこころ シリーズ その160
退職の日を迎えました………
この窓から眺める仙丈岳もこれが見納めです。
春日愚良子先生の句の如く………
仙丈岳は花咲く時に雪崩落つ 愚良子
水が温んだ野で、井月さんは詠みます。
里の子の魚掴むなり鐘霞 井月
この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
天竜川であれ、天竜川に注ぎ込む支流の小川であれ、魚取りに適した川に不足しない伊那。子供たちは素手で川端の草の陰に隠れている魚を掴む。手に触れた瞬間の感触がたまらない魅力。鐘が鳴って楽しい一日も漸く暮れるようだ。霞は遠くほのかな春の日の情緒で、春でも夜にはおぼろという。鐘朧・朧月など。 また同じ現象でも秋には霞でなく、霧という。春霞、秋霧。
(霞・春)
子供の頃に魚を追いかけ夕暮れの鐘が鳴るまで熱中したあの洞掴み(うろづかみ)。一日一日が楽しく長く感じられ、手のひらに今も思い出す生命が躍動する感触。
2013年7月6日 鯇(あめのうを)捕まえる頃【井月さんのこころ16】
https://blog.nagano-ken.jp/kamiina/life/311.html
三年余り続けてまいりました、このシリーズも終章を迎えました。
あの夏の日の「鯇(あめのうを)」や「合歓(ねむ)の花」も、秋の日の「姫部志(をみなえし)」や「芒(すすき)の穂」も、冬の日の「帘(さかばやし)」や「榾(ほた)の明り」も………
今となっては遥か春霞の彼方に………、懐かしく思い出されます。
そして『北の一茶、南の井月』は、まだまだ、これからが楽しみです。
我が里はどうかすんでもいびつなり 一茶
見るものの霞まぬはなし野の日和 井月
『井月さんのこころ』迄には、なかなか辿り着くことができないまま筆を置くことになりますが、春日愚良子先生、竹入弘元先生、井上井月顕彰会の皆様をはじめ、お世話になった多くの方々に厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
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