2015.08.01 [ 歴史・祭・暮らし ]
梢を吹き渡る風に 【井月さんのこころ125】
さて、井月さんが詠んでいます。
風涼し天民竹に筆(ふみて)採る 井月
以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
涼風に吹かれ竹に向かって絵筆をとる天民に井月は羨望。江戸時代の漢詩人書家画家大窪氏、字天民(一七六七~一八三七)、号詩仏は、竹の絵が得意。井月には「初蝉や詩仏は竹に筆採る」・「初蝉や詩仏に望む露の竹」もある。宮脇昌三氏は、唐の詩人画家王維(七〇一~七六一)も詩仏と称したと言われる。諸橋『大漢和辞典』も、詩仏として、天民・王維の二人を上げる。 (涼し・夏)
自らを詩佛と号した大窪天民の七言絶句です。
「夏晝(夏昼)」
貪睡鳧雛猶傍母 睡(ねむ)りを貪る鳧(かも)の雛は まだ母鳥によりそったまま
學飛燕子已離巢 飛び方を学んだ燕の子は 既に巣立ってしまった
湘簾半捲閑窗午 竹の簾(すだれ)を半ば捲き上げた長閑な昼の窓辺で
臥見微風度竹梢 横になったまま微(かす)かな風が竹の梢を吹き渡るのを見ている
真夏の昼。竹の梢を渡る風を見ながら、子育てに思いを馳せている天民です。一年周期の自然界の子育ては、新緑の頃から始まって早いものは済み、まだゆっくりと慈しみ深く続いているものもあるという、様々である雛鳥の歩みの妙を詠んでいます。
大窪天民は、画については中国北宋時代の蘇東坡(そとうば)に私淑し、墨竹画を得意とし、墨竹の四葉が対生する様は「詩佛の蜻蛉葉」と尊ばれ、多くの人から書画の揮毫を求められたのだそうです。
蘇東坡は、遡回その99以来の登場です。2015年1月31日 富貴浮雲に【井月さんのこころ99】
団扇は、詩佛の蜻蛉葉ならぬ手習いの墨竹図です。稿頭の扇子もこの団扇も百円ショップには税込み108円で無地のものが売られています。骨が邪魔で、なかなか上手く描けませんが………。
直ぐなるを見る竹の子の育ちかな 井月
それぞれにある真夏の創生 朴翆
雛ともに団扇に描きたる蜻蛉葉 青巒
筆一本で詩佛や詩聖堂などと号して華やかに生きた漢詩人で書家で画家でもあった大窪天民。二世紀前を生きた多才な文化人です。
今週の結びは、愚良子先生のこの句です。
「春日愚良子句集」から
夏草の一本で立つ命かな 愚良子
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