2015.05.07 [ 歴史・祭・暮らし ]
江宮隆之先生の講演「伊那谷の俳人・井上井月」を聴いて
○いくら素晴らしい人がいても、伝えていく人がいなければ、文化として残っていかない。芭蕉は蕪村が居たからこそ後世に名を残すことができた。井月を「せいげつ」と呼べる人は少ない。初めて目にした人は「いげつ」と呼ぶ人が多い。「井上井月顕彰会」のように一生懸命後世に残そうと取り組んでいる方々がいるが、こうした伝える人がいることが非常に大切である。
○井月は伊那谷の風土と優しさに包まれて生きた。井月の良さを認め理解した伊那谷の人々の素晴らしさ。そうした文化を伝えていくことが自分たちの土地に誇りを持つことに繋がっていく。
そして、講演の最後には江宮先生と参加者が一体となって次の五句を群読しました。
何処やらに鶴(たず)の声聞く霞かな 井月 (辞世句)
降とまで人には見せて花曇 井月
駒ヶ根の光前寺での春祭りで詠んだ句:「桜の花には晴れた青空より、くすんだような曇り空の方がよく映える。まさに花曇りだ」(以下、四首の解説は江宮先生の著書から引用)
立ちそこね帰り後れて行乙鳥(ゆくつばめ) 井月
「長岡への送別会を催してもらったにもかかわらず、こうして故郷に戻ることも出来ずに、再び伊那谷に舞い戻ってきてしまった自分は、仲間の旅立ちに立ち遅れてしまい、帰りそびれた一羽の燕である」
駒ヶ根に日和定めて稲の花 井月
「天竜川の大地には稲が花をつけている。駒ヶ岳からは穏やかな秋の日和が降り注いでいる。これも自然の素晴らしさに他ならない」
落栗の座を定めるや窪溜り 井月
「落栗が草むらの中に転がって座を据えた。自分も長い放浪の末にやっと安住の地を見つけた。反面、窪溜りで朽ちていく最期を予感」
二時間どっぷりと井月レジェンドに浸かり、きっと、参加者はどなたも満足して帰られたことと存じます。
さて、私自身、江宮先生の「井上井月伝説」を拝読させて頂いた折に感じたのは、虱(しらみ)について、芭蕉と井月を対比させているくだりがあるのですが、
夏衣いまだ虱をとりつくさず 芭蕉
に対し、
花に身を汚して育つ虱かな 井月
とあり、井月とともに汚れた衣にあって虱は育ち、虱さえも「生命」を持つものとして、扱われていたと紹介されていて、井月の本当の優しさがこの句に表現されているのが大変興味深く感じられます。
なお、前述した辞世の句「何処やらに鶴(たず)の声聞く霞かな」の句碑は、伊那市美篶の六道の堤の上にあります。六道の堤は農業用の温水ため池で、嘉永元年(1848年)高遠藩の内藤家第7代藩主 頼寧(よりやす)公の命によって末広村(現在の伊那市美篶末広)一帯の開墾が行われ、嘉永4年9月に堤が完成しましたが、平成19~23年に上伊那地方事務所農地整備課でため池の改修工事を実施し、現在でも当時の農村風景を受け継いでいます。
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