2024.02.19 [ 職員のみつけた情報コーナーまちづくり歴史 ]
「Editor’s Museum 小宮山量平の編集室」~本と出会う 人と出会う~
総務管理課 鰯です。
今回から数回にわたり、「Editor’s Museum 小宮山量平の編集室」について紹介したいと思います。
「Editor’s Museum 小宮山量平の編集室」は上田駅前若菜館ビルの三階にあり、
世界でも珍しい「編集者の資料室」です。
小宮山量平先生(以後量平先生)が出版に携わった書籍、作家や関係者との書簡等々が展示されています。
量平先生の生い立ち、業績は調べていただければお分かりいただけますので、私が一緒に過ごさせていただいた中で感じたことや思い出を中心に書いてみたいと思います。
量平先生は、1916年(大正5年)に上田市生塚に誕生し2012年(平成24年)95歳の生涯を閉じられました。
量平先生は、児童文学者、編集者として今江祥智、灰谷健次郎など多くの作家を世に送り出しました。
また、エッセイや小説の執筆活動に活躍されました。その世界は多岐にわたり人脈も幅広くどこでどのようにして出会われたのか不思議になることが日常茶飯事でした。
(この額は1979年頃に若菜館一階に、喫茶店くるみの木の一隅に設けた「小宮山量平の本棚」に掲げた言葉です。)
私が量平先生と初めて出会ったのは、今から40年くらい前のことです。
当時PTAの役員で、「編集者とは何か」「子どもの本をつくる」を読み、是非編集者としての思いを話していただきたく講演を依頼したことでした。
講演会では子供に対する思い、期待を優しく穏やかな語り口で語られすっかり魅了されました。
また、人となりに感銘を受けたのをつい昨日のように思い出します。
この言葉は、理論社創設にあたって、量平先生がかかげた言葉です。
ノヴァーリスのこの言葉と「自分の足で立ち、自分の頭で考える」という自立的精神の確立を目指した言葉は私の人生、仕事の指標となり現在も胸に刻み、歩み続ける力になっています。
「Editor’s Museum 小宮山量平の編集室」は、2005年7月に設立されました。
その思いを次のように語られています。
「編集者の部屋」の夢
「編集者の部屋」とでも申すべき場所がふるさとの上田に生まれました。 小宮山量平 |
PTAの講演会でお会いして何年か経過してから、地元コミュニティー紙編集長に、
小宮山量平さんの話を聞く会があるので行かないかと誘われ、即答し参加させていただきました。
名称を「太郎山塾」と言い、場所は第二中学校東側に移転した「くるみの木」でした。
狭い店内にあふれんばかりの人と熱気でいつも満ち溢れていました。
不定期で量平先生の都合のつく時に開催されました。
が毎回、名高い人、崇高な人との出会い等が語られ、
いつどのようなえにしで?と思わされる人脈の多さ、深さに感じ入ってしまいました。
語られる内容も政治、経済、文化等々多岐にわたり見識の深さに感銘し、驚き気力に満ち溢れ
「普通は若者が年配者に気力を与えるのに、「太郎山塾」は逆だね。」と語り合いながら帰路につくのが常でした。 「太郎山塾」で出会った仲間は、お互い助け合い、協力し支え合う今も続く大切な存在になっています。
今回はここまでとします。 次回はどんな内容になりますか?
Editor’s Museum 小宮山量平の編集室
〒386-0025 長野県上田市天神1丁目6−1 若菜ビル3階
定休日 火曜日
営業時間 11:00~17:00
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