信州魅力発掘人 信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

信州魅力発掘人

信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

元プロスキーヤー×スノーリゾート vol.1

- 遊びだったスキーを、競技として始めたのはいつごろですか?

小学校4年生くらいですね。4年生になるとジュニアスキークラブに入ることができるようになるので、それまで遊んでいるだけだったものが、指導者が付いて、大会にも出られるようになります。

- そこから本格的に。

全国大会もあるので、目標が明確に立てられるようになるのは大きいですね。クラブに入ってからは、大会にも出場するようになりました。当時、1990年代前半は、スキーと言えばアルペンが普通で、スノーボードもまだなかったころです。

- スノーボードが流行り始めたのは、1990年代半ばくらいですかね。

そのくらいだったと思います。そのまま、中学、高校と続けて、大学もスキーで進学しました。新しい種目としてフリースタイルを知ったのは大学時代です。まだ日本での認知度は低く、フィールドもなかったので、アルペンと並行して少しずつ始めました。

- フリースタイルのどこに魅力を感じたんですか?

子どものころって、競技じゃなくて遊びの延長みたいなものじゃないですか。それが大人になるにつれて、競技のため、大会のためになって、トレーニングの必要があって。そして引退したら終わり、という感じですよね。でも、フリースタイルを始めたら、子どものころのような本来の楽しさがよみがえってきたというか、純粋に面白いって思ったんです。

- スキー自体を楽しむような感覚ですか?

フリースタイルはその名の通り、自由にいろんなことができる。決められたコースではなくて、いろいろな起伏があるところを、楽しみながら滑ることができる。自然と一体になっているような感じがいいんだと思います。

- それでフリースタイルの道へ。

大学卒業と同時に、正式に転向しました。とはいえ、大会は海外が中心。日本ではほとんどなかったので、自分で調べて、海外を転々としていました。


その後、上野さんはスキークロスからハーフパイプに転向し、2004年ニュージーランド選手権ハーフパイプで優勝。2006年1月にはフランスで開かれたフリースタイルスキー・ワールドカップ・ハーフパイプにて日本人初となる4位入賞を果たします。
そして引退後に始めたのが「Compass Project」。次回はソチオリンピックハーフパイプ日本代表として活躍した妻の三星マナミさんも一緒に、プロジェクトについて伺います。

PROFILE
1981年、野沢温泉村生まれ。2歳でスキーを履き、小学校中学年ごろから本格的な競技スキーを始める。大学卒業後にプロスキーヤーとして活躍。2010年シーズンに、故郷へ戻り「Compass Project」をスタート。プロジェクトの情報発信基地となるショップ「COMPASS HOUSE」を構え、フリースタイルスキーの普及やさまざまなスノーアクティビティを提案している。

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